カラス 何故なくの カラスは山に 可愛い七つの 子があるからよ 可愛 可愛と カラスはなくの 可愛 可愛と なくんだよ 山の古巣に 行つてみてご覧 丸い眼をした いい子だよ ◆ ――――世の中、不幸な偶然に見舞われる者というのは、確実にいるものなのである。 ザハーラ領東部国境戦線は、同領内のアムリア大陸戦線ほどではないにしろ、人類の敵〝G〟を迎え撃つ激戦区のひとつだ。 世界には人類とその守護者にして剣であるメードと、外敵生物Gが攻防を繰り返す戦線が数多あるが、ザハーラ領東部国境戦線も含めてそれら戦線がGによって決壊される危機的事態には陥っていない。これは偏に、人類の切り札足る人工生命体〝メード〟のおかげである。 人類が結託して作り上げたメード部隊による強固な戦線維持活動によって、今日も人類生活圏の平和は守られているのだ。 ――――それも世界的には、なのであるが。 これは別に人間に限ったことでもないだろうが、人類史上、不幸な偶然に見舞われる者は後を絶たない。 そう、例えば。 戦線から、あるいは別ルートからごく少数のGたちが、奇跡的にメードの防波堤を突破してしまうという偶然。 ソレらを以後、誰も捕捉できなかったという偶然。 あるいは、ソレらが個体として、群として随分と慎重だったのかもしれないという可能性。 そうして誰にも見つかることもなく、ソレらが人間の生活圏に侵入できてしまったという偶然。 ごくごく僅かな可能性と偶然が重なり合い、誰も責めることが出来ない責任の取りようがない奇跡というものは、どうしてもこの世界から消え失せることはない。そもこの世界が誕生した切っ掛けすら偶然と可能性が交わって生じた奇跡であるのだから、どうしようもない、それが真理であり摂理なのである。 そうして彼ら〝G〟が達した偶然の奇跡は、偶然その場に居合わせてしまった人間にとって、突然やってきた災禍でしかないのも必然であり。 かくしてまたひとつ、この世に地獄が生まれたのである。 突如としてその町を襲った巨大生物Gの群れは、瞬く間にそこに根付いた人間社会の尽くを蹂躙した。 道路を走っていた農道具を積んだ三輪車を踏み潰し、街路を歩いていた男女の胴体を噛み砕くモノ。 悲鳴を上げて建物に逃げ惑う人間を嘲笑うかのように、その建物をなぎ倒して血の池を作るモノ。 赤児を庇う母の盾になって猟銃を構えた男の弾丸を平然と受けながら、三人纏めて肉塊にするモノ。 逃げ場なく部屋の隅で震える少年少女を、窓をぶち抜いて顔を突っ込み悲鳴と絶叫を響かせるモノ。 店舗の食料品を食い漁り、ついでに中の人間も食い散らかして、逃げる者の足は触角で貫いたモノ。 ガソリンの詰まったタンクをひっくり返し、電信柱を倒して町を業火に染めても飽き足らないモノ。 とにかく動くものを口いっぱいに頬張って、犬も猫も豚も牛も人間も老人も女も子供も生半可なままグチャグチャにするモノ―――。 人間、犬猫畜生、有象無象の区別なく、彼らは殺し壊し食い荒らした。そも人間に対して、人間社会に対して悪意と殺意しか持たぬ生き物どもである。その結果は、火を見るより明らかで純粋すぎるというものだ。 平和を壊し日常を侵し、尊厳を奪い自由を嗤い、誇りをなじりココロと自由をぶち殺す。 その光景はまさに地獄の拷問風景そのもの。 違うとすれば、拷問に処されている彼らは死者ではなく生者であるということ。善人悪人の区別なく平等に鍋にくべられているということ。 そんな痛ましい地獄、偶然この世に〝また〟生まれてしまった地獄に―――――はたして、彼女は辿り着いたのだった。 阿鼻叫喚の地獄絵図と化した町に、少女は躊躇なく足を踏み入れる。 踵まである長く白い髪に、白い着物に濃紺の袴を纏った姿はまるでかんなぎのよう。しかしその太股あたりを革紐で十字に縛り、駆けることを赦されていない様は罪人のそれであり――――何より、その淡い微笑を浮かべた彼女はこの地獄を祝福する死に神であった。 だが、相手がどんな者であれ、それが生きているのならば、人間であるのならば、壊し侵し殺し食らうのが彼ら〝G〟という生物である。 殆ど蹂躙し尽くされた町にはもう、先ほどまでの悲鳴や断末魔はなかった。ただゴウゴウと黒煙を上げる建物と噎せ返るような血の臭いだけが、ここが地獄であったと語っているのみ。 そこに何の武器もなく飄々と現れた、この小さな矮躯の娘を、Gたちが見逃すわけがなく。 「――――…かごめ、かごめ」 小さな体に、全長3mの怪物たちが殺到する。少女が何事か呟くが、知ったことではない。例え彼女が武器を取り出したところで歩兵の火力で彼らを屠ることは敵わず、それよりも体長の何十倍の秒速で走ることができる彼らの顎がその肉に到達する方が圧倒的に早いのだから。 「―――――」 そうして自らに迫るGを、彼女の赤い瞳はただ静かに見つめるだけだった。 … 「ワモン型が8の9の……もっとかの?……や、これは確かにあの程度の町、半刻足らずで平らげられてしまうであろうなぁ」 側車付きの自動二輪車の上に跨った男、阿倍野誠明は、その地獄を双眼鏡眺めながら呟く。痩せ細った男は黒い狩衣を纏っており、一目で楼蘭皇国に縁のある者だと分かる。が、その衣装とバイクがあまりに不釣り合いであり見る者がいれば珍妙な印象を持たざるを得なかっただろう。 「……や、これ以上近づいたらさすがに身の危険を感じざるを得ないねぇ。ハハハ」 双眼鏡を覗きながら阿倍野は人ごとのように言う。実際人ごとであって、未然に防げなかった以上自分が責任を感じる必要はないというのが、阿倍野誠明という男の考えである。仮に生存者がいた場合、救ってやらないこともないが、それは自身の安全が完全に確保された状態での話だった。 彼が陣取っている丘は町から1里ほど離れた場所で、町の様子を一望できる場所だ。ワモンと呼ばれるゴキブリのような姿をしたGは、体長3、4mほどの最も数の多い小型の種類である。とにかく足の素早い彼らに見つかりでもすれば、バイクで逃げたとしてもすぐに捕まってしまうだろう。しかしこの距離なら捕捉されることはまずないというのが、今の所のワモン型に対する見解である。もっとも、彼らGは急速に進化する種だから、この距離でも気付かれるようになってしまう時代もいずれやってきてしまうのかもしれなかったが。 「黒百合も無事についたようだ。や、拘束具のせいだろうけれど、本当に歩いていってしまうんだものな。あれでは助かる者も助からんなぁ、ハハハ」 と後ろに控えていた、二人のメードに笑いかける阿倍野。メードの二人も白髪の少女と同じく袴を纏った、楼蘭皇国の者であり、楼蘭皇国陸軍から阿倍野が個人的な護衛のために譲り受けた彼女たちだが、その表情にはハッキリと憤怒の相が浮かんでいた。 「阿倍野殿、何故我々に討伐を命じられない? 何故彼女一人に、しかもこんな悠長な方法で命を下したのです!」 メードの不服はもっともだった。ワモンタイプは人間や彼らが扱う武器兵器では確かに驚異的な存在だが、人類の守護者として生み出された彼女たちメードにとってすれば、実に取るに足らない相手なのである。1里ほどの距離があったところで、彼女たち二人が最大戦速で駆ければもっと迅速に突入することが出来た。しかも今は阿倍野に随伴するため、自動二輪車を宛がわれている身だ。これにメードの能力で〝強化〟を施せば、1分足らずでこの場から馳せ参じることだって出来たのである。そうすれば犠牲者だって、少しでも少なくすることが絶対に出来たはずなのだ。 なのに、阿倍野誠明は黒百合の〝脚を封印〟し、わざと町が手遅れになるようにし向けたのである。助けるも何も、この男は端から助けるつもりがないのだ。それが分かっていながら結局命を守り30分もの時間をここでこうして浪費していた自分たちと、そう命じた阿倍野に対して、二人のメードは怒りに奥歯を噛みしめているのだった。 されど阿倍野は彼女たちの怒気にも臆面も無く「や、だってねぇ…」と口の端を歪めてみせた。 「それじゃ、吾輩が黒百合を連れている意味がないではないか」 その言葉の意味に二人のメードが苦虫を噛み潰したように顔を歪める。あくまで男の目的は、あの単身投入された〝メード〟の実地検分なのだと、この任務の端から聞かされていたことだった。けれど、実際にこんな人名を無視した命を平然と下すとは思っていなかっただけに、頭の中を金槌で打たれたような衝撃が走り、更なる不満が募っていく。何しろこの男、救援要請があったあの町に一番近いのは自分たちだからと、他の援護を一切必要なしとも上層部に報じた上での行動なのである。 そんな人の命を何とも思わない彼を軽蔑し続けるメードの視線に、当の誠明も気付いているのだろうが、まったく相手にすることもなく話を続けていく。 「君らは、吾輩の身を守ってくれるだけでいいと最初に言ったであろう? アレは、おじさんのことぜーんぜん護ってくれないだろうからねぇ」 それも、最初に聞かされた言葉だ。 「……でしたら、単身で大丈夫なのですか。幾らワモンタイプとはいえ、数が揃えば厄介です」 苦し紛れに片割れのメードが口を開く。裸眼といってもメードの視力は人間の比ではない、1里先の町の様子など眼前のことのように捉えられるのだ。 「あの町を襲撃したワモンの数はおそらく13匹。黒百合殿の力量は存じませんが、単身で請け負うには些か多量と思いますが」 「ほぅ、13か。それは何とも意味深だねぇ。これも偶然の偶然かねぇ」 しかし阿倍野はまったく受けつけなかった。ただ双眼鏡覗き続けることに腐心するのみだ。 ただ一言、口惜しそうに得物の柄を握りしめる二人に対して、 「―――――や、これが終わったらね。辞めてもいいよ? 前もそうして辞めていったし。耐えられないってさ」 と言ったきりであった。 … かくして、十を超えるワモンの群れに襲われた白髪の少女――――メードたる黒百合は、変わらず町の街路に佇んでいた。 その周囲には、平たい体を更に押し潰されたように地面にめり込んでいるワモンや、胴体が真っ二つに裂かれたワモン、頭がごっそりなくなっているワモンなど、とにかく彼らGの屍骸で埋め尽くされていた。 対して黒百合は何ひとつ傷つくことなく、武器も持たないまま冷たい微笑を浮かべて町を見据えている。 そしてまた一体、ワモンが家ひとつをなぎ倒して黒百合の前に躍り出て、間髪入れずに彼女へと突進した。何も顎で引き裂く必要もない、頭の先端から生えた長い触角の一本でも突き刺されば、あんな矮躯の少女など一瞬で貫き殺せるとばかりに――――否、地上最速の動物であったチーターのそれの遥か上をいく駿足なら疾く肉薄し屠ってみせると、ワモンは黒百合に盲進して――――その瞳を見た。 黒百合の赤く、深く、どこまでも透き通っていて先がないそれを。自分たちが作り上げた地獄など生温い、奈落の底よりももっと奥にあるかのような目に見据えられて。 ―――――「籠の中の鳥は いついつ出やる」。 グシャリと、眼前に躍り出たワモンがミキサーに駆けられたかのように爆ぜ飛んだ光景に動じることもなく、黒百合は歌をそのか細い唇から紡いでいた。 仲間の死の意味を理解できず、理解しようともせず、ただ獲物へと飛翔して襲いかかるワモンが、また1体朽ち果てた。何かに噛み潰されたかのように幾多の歯形を刻まれて地面に崩れ落ちる。 ――――「夜明けの晩に 鶴と亀が滑った」 体内から噴き出た炎に捲かれて焼け死ぬワモンもいた。 口から体液を吐瀉して衰弱死するワモンもいた。 体を原型が分からなくなるまで歪に曲げて死ぬワモンもいた。 そうしてようやく相手が脅威であると悟り、逃亡を図ったワモンもいた。けれどその六の脚は何故かもげていて、逃げること叶わないまま胴体を引き裂かれて朽ち果てた。 まるで黒百合の視線から始まった死が歌に乗って伝播するかのように、次から次へとワモンは怪死していく。 ――――「後ろの正面 だぁれ?」 そうして黒百合が歌い終わった時には、もうワモンは1匹残らず死に絶えていた。 町は静寂を取り戻して、黒百合はただ独り佇んでいる。 「………」 けれどその表情は冷たいまま。そしてその目は、ただ一点を見据えている。 「出てきたら如何ですか?」 声を掛けた。それこそ無駄な行為と知りながら。 何しろ相手は知性のかけらもない。ただ純然に強固な性能を持つ生命として進化するのみの種なのだから。 けれどどういうわけか。観念したか、それともただの偶然か〝ソレ〟は収まっていた建物を崩して現れた。 その風体はさながら二足歩行の、人間ゴキブリである。ただしその身長は3mは優に超えた巨人。ワモンが人型をとろうとすればこうなるのだろうか。前脚はまるで人間の腕のように指を持ち、太い二本の足で大地を踏みしめ、触覚の生えた頭をもたげて黒百合を睨んでいる。 確かウォーリアというGの派生種である。おそらくこの群れのリーダー格だったのだろう。なるほど、この風体ならば確かに知性を期待してしまっても可笑しくはないかもと黒百合は僅かに微笑む。 「いい子……でも、さようなら」 そして、黒百合はワモンたちにしてきたように、ただ彼を見据えた。その視線が必殺であると、果たして姿をなかなか現さなかったウォーリアが理解していたのかは定かではない。しかし姿を見せてしまった以上、視線以上に速い手段などあるはずもなく。 ―――――結果として、ウォーリアは無傷無損でその場に佇んだままだった。 「?……あ。そう、貴方……」 そうして、今まで表情を変えることがなかった黒百合が始めて感情を露わにしたとき。 ウォーリアの拳が、黒百合の胴体を捉えていた。 ぐるりと世界が回転したかのような衝撃は真っ白に、黒百合は為す術もなく後方の建物へと吹き飛ばされた。壁に背中を打ち付けられ、一瞬呼吸が止まり思考が停止しかける。かような巨人に殴り飛ばされたダメージもあるのだろうが、足を拘束具で縛られているため、満足に態勢を整えることも出来ず地面に崩れ落ちてしまう。 だがそれをウォーリアは赦さなかった。刹那、触角が黒百合の両肩を貫いて宙吊りにしたのだ。 折角の拳では殴打しかせず、相手を持ち上げるときは触角を使うとは何と歪なことかと、黒百合は尋常ではない痛みに苛まれながら目尻を歪めた。 そのままウォーリアの眼前にまで運ばれた黒百合は、まるで赤児をあやすような声で囁く。 「そう、貴方は…まだ〝殺していない〟のね。生まれたばかりの…」 群れのワモンが進化して新たな命となったのか、この地で孵化したのか、ただ今まで〝殺す〟機会に恵まれなかったのか。そんな偶然の前に黒百合の力は、発動することもなく。 人間の姿をもしたウォーリアは、しかし凄惨なまでに顎を開いて、黒百合の腹に食らいついた。 「ッ…ぁが!!」 口から吐血してビクリと黒百合が震えた。黒百合の体から血が噴き出して、あっという間に白い着物が朱に染まる。ボタボタと袴から覗く白い足を伝って地面へと血が滴って、赤い水溜まりを生み出した。履いていたぽっくり下駄がその血溜まりへと脱げ落ちる。 そして、腸に牙を立てられて黒百合が声にならない、小さな悲鳴を上げた。痛みに噎び泣きそうで、呼吸も出来ず、四肢が痙攣して血が流れていく喪失感に思考が絶望する。込み上げる痛みに怒りが募り、引き裂かれた腹と食い込んでいく牙の光景に嘆きがあふれ出しそうになる。 牙が動く度に白く長い髪が振り乱れた。激痛に顔を歪ませ、涙を浮かべる無力な少女はもはやウォーリアの敵などではない。 そうしてあと一歩、あともう少しウォーリアが力を込めれば、黒百合の胴体は真っ二つに裂けていただろう。ウォーリアの顎ならばこんな華奢な少女でなくとも、人間ごとき引き裂くことは容易いこと。彼の顎は象や戦車とて噛み砕いてやまないほどの暴力なのだから。相手がメードであるから、そのエターナルコアからのエネルギーが防御に働いてどうにか数秒耐えられてしまっただけのこと。こんな娘を裂くことは造作もない。 けれどウォーリアはそれをしなかった。牙を突き立てたまま、彼は動かない。 黒百合は相変わらず武器を持たず、ただウォーリアに食いつかれたままだ。ただの無力な存在、餌食にされる獲物でしかないのに、ウォーリアはそこから一歩も前に進めないで立ち止まったままだった。 いや、そもそも出来なかったのだ―――――何故なら。 「………腹を裂かれる痛み……存外、痛いでしょう?」 黒百合の顔が微笑みに歪んだ。口から血を流しながらも、あの冷たい表情と眼差しでウォーリアを慈しんだのだ。 そしてウォーリアの腹は、なかった。文字通り〝何かに食い千切られた〟ように抜け落ちていた。 腹部を完全に失ったウォーリアはぐらりとかしいで、上半身を地面へと落下させた。下半身もまた仰け反るように地面へ倒れていく。 対して黒百合は、血塗れになりながらもしっかりと地面を踏みしめて立っている。ぽっくりを拾い上げ、履き直してみせる余裕まである。血塗れの足袋の感触に少々顔を顰めはしたが、腹の痛みなどもうないかのように平然としていた。実際に流血は止まり、腹を裂かれた傷も肩を貫かれた傷も塞がり始めていた。 ウォーリアはよく見れば、腹だけではなく肩も砕かれていた。よくよく内部を見れば、何か強い衝撃を受けたかのように体内がズタズタに破壊されてもいるのだが――――当の黒百合にとって、それは分かり切っていることだ。 何しろそう〝返した〟のは他ならぬ、黒百合自身なのだから。 「〝呪い〟は倍返しが基本と云いましょう? 貴方には、分からないかもしれませんけど…――と、」 歩こうとして、さすがに疲弊したのか危うく転倒しかけた。阿倍野誠明が逃げ出さないようにと宛がった脚の拘束具が、こういう時には煩わしく思える。身体能力に自慢のあるメードならば、こんな拘束具自力で引きちぎってしまえそうだが、生憎と黒百合はその点では見た目通りの身体性能しか持ち合わせていなかった。 「…………無理に歩くこともなし、か」 町に蔓延っていたGはもう完全に排除したのだから、あの男も直わたしを〝回収〟に来るだろう―――――と、黒百合はその場に座り込んだ。そうするとやはり疲労が限界に近かったのか、唐突な眠気に襲われてしまった。 けれどまだ早い。この町にはまだ、わたしの仕事が残っている――――と、黒百合はどうにか意識を保って、嫌いな阿倍野誠明のバイクの音が聞こえるのを待つ。バイクのエンジン音が嫌いなのではない、あの男が黒百合は大っ嫌いなのだ。 「まぁ、あの男が好きな者など、ロクな者ではないのでしょうけど」 言って一息つく。 気がつけば目の前には朽ちたウォーリアの目が、恨めしそうに自分を見つめていた。それがどこか可笑しくて黒百合はいつものように冷たく微笑む。 「フフフ……それでも、貴方たちは〝呪う〟ことはないのね。だって黒いカラスが、貴方たちにはいないんだもの」 その呟きは何処か寂しそうで、幼い子供の憧憬に似ていた。 ―――――そうしてこの小さな地獄は、開催から1刻を待たずに閉幕したのだった。 ◆ 戦果として、黒百合が屠ったGは14体。黒百合は血塗れで発見されたが、肝心の外傷は見あたらなかった。多少の疲弊感はあったがそれでもあの短時間にここまでの戦果を上げるとは、随伴していた二人のメードも正直驚嘆していた。阿倍野誠明も心底満足げであったが、彼の称賛の言葉を黒百合は冷たくあしらって捨てた――――その点も二人のメードは評価を改めていたが、黒百合は二人に対しても冷たくあしらうような微笑みを浮かべるだけなので、結局イーブンのままである。 また、あまりに遅い救助活動の末、発見できた町の生存者は僅か一名のみ。それも重傷で、おそらく数刻も持たない命だった。 この燦々たる二人は更に阿倍野誠明を非難したが、やはりどこ吹く風とあしらわれるだけでまったく手応えもないまま、二人のメードはある決心をする。 そうして、今回のGによる襲撃事件は、生存者ゼロ、負傷者なしで幕を閉じたのだった。 ◆ その少年は死に絶える寸前だった。 脚をワモンの触角に切り裂かれ、腕を崩落してきた天井に砕かれ、胸に折れた柱が突き刺さったのだ。生きている方が奇跡だろう。 けれど即死した方がマシだったと、少年は痛みにではなくただ怒りと哀しみに涙を枯らした。 だってこれは、目の前でワモンが家族を食い殺す光景を、ただ見ていることだけしか赦されない生だったから。父親が必死に勇敢に立ち向かっていくのにも何も出来ず、母親と生まれたばかりの弟がただの赤い肉の塊にされるのも黙って見ているしかなった。妹が泣きわめいて逃げ惑うのを助けてやれなかった。ただ黙って傍観するしかできなかった。 声が出ればどんなに楽だっただろう。けど打ち所が悪かったのか、それとも切り裂かれてしまったのか、自分の声帯は役立たずになっていた。どれだけ泣き叫ぼうと、怒りを表そうとしても、自分の声は拍子の抜けた空気を漏らすのみだったのだ。 怒りに気が狂った。哀しみに押し潰されて、あの化け物どもへの憎しみが頭をただひたすらに焼き尽くした。体の痛みなどとうに忘れて、ただただ目に焼き付いたあの凄惨な殺戮を、理不尽な暴力の乱舞を再生し続けている。涙が枯れ、乾いて充血し切った今でもその地獄は少年の頭の中を回り続けている。まるで壊れた映写機のようにカタカタカタカタと、少年の心を追いやり続ける。 突然現れていきなりすべてを奪っていったあの化け物共の姿を。 無惨にどうしようもなく、まるでゴミ屑のように弄ばれて殺されていった家族の姿を。 けれどどれだけ恨もうと憎もうと、もうお前は無力で何も出来ないゴミ屑以下なのだという現実を。 カタカタカタカタ。憎悪というフィルムを上映し続ける映写機は、少年の脳の中で嗤い続けていた。 涙は枯れた。絶叫する声すら出ない。当たり散らそうにも四肢は動かない。 本当に役立たず。どうしようもない絶望と諦観に、少年の心にはより一層どす黒い恨み辛みが宿っていく。 でもそれを再現する術がない。そもそももうこの命は長くない。 誰か、誰でもいいから、アイツらにこの怨みを、と少年は今際の最期にそれだけを望んだ。 誰でもいい、誰かあの化け物どもに、自分の怨みを、家族の無念をぶつけてくれ、奴らを根絶やしにしてくれと祈った。神でも悪魔でも鬼でもなんでもいい、この願いを聞き届けてくれるのならこの残りカスのすべてを捧げてやると。 少年の形相はいつしか鬼のそれに変わっていた。その目は寝かされた部屋の天井ではなく、ただあの悲劇とその怨みを晴らしてくれるナニモノかに向けられているのみで。 ―――――「それが、貴方の〝呪い〟なのですね」 そうして、自身が救助されたことにすら気がつかなかった少年の目は、はじめて現実へと回帰した。 横たわる自分のすぐ横に、白く長い髪の少女がいて、自分を真っ直ぐ見下ろしていた。その目はどこまでも深くて先が見えない色をしていて、思わず吸い込まれそうになる。さながら神の御使いのように神秘的な少女だった。けどその優しい微笑はどこか冷たく背徳的で、彼女は悪魔の手先なのだとも思えた。 彼女は少年の頬を両手で覆い、目と鼻の先まで顔を近づけて、問うた。 「その願いを本当に〝呪い〟としてしまったとき、貴方は永劫その憎悪に囚われることになる。例え貴方が呪ったモノが滅びようとも、貴方が報われることはなく、現実と奈落の狭間で永遠の苦痛に蝕まれ続けることになる。それでも貴方がその〝呪い〟を力にしたいと願うのなら―――――…わたくしは、貴方の〝願い〟を叶えましょう」 そう呟く、吐息がかかるほど近くにある彼女の目は、もはや人の物ではなく鬼のそれであり。 同時に、慈愛に満ちて微笑む母親で――――――ただただ哀しみに涙を流す少女のようだった。 少年は彼女の双眸を見つめて幻視する。堕ちる場所は冥府の底、救いなどけしてない修羅鬼畜の針山血の池を。屍肉に群がるカラスの群れに永遠に啄まれる自分の幻に、怒りと憎しみに忘れていた恐怖を思い起こす。目を何度も抉られ、舌を引き抜かれ、腸を食い散らされて脳みそを掻き出され続けるという永遠の拷問に、頬が一瞬だけ引きつって逃げ出したくなった。 けれど、それでも次瞬にその幻の先を見た。 この妄想が、永遠の責め苦が本当だとしても、憎悪と怒りだけの怨念となった悪鬼に相応しい牢獄ではないかと。そして、そうなった自分の先には常にこの少女がいるのだと思い描く。血溜まりの闇の中でも、あの透き通る白い髪が導いてくれるなら。共にこの復讐を果たし、外道となってくれるのなら。 ああ、そもそも地獄の拷問など、とっくに味わった。家族を眼前に化け物に殺されるだけの無力な自分、あれ以上の地獄は他にありはしないのだと。 「―――――」 少年はちいさく頷いた。体が思うように動かないため、僅かな動きだ。けれどその意思に迷いも屈託もないことを少女は確かに見取った。 だからこそ、彼女は微笑む。 「ええ。呪うのは、得意ですよ」 安心して任せて欲しいと、彼女はそうして少年と口づけを交わした。 少年はただされるがまま、少女に委ねる形の舌と舌を絡ませた深いキス。ただ違うのは、少女の歯が少年の舌を?んだこと。唾液の交換などでは済まない、舌から血を奪われる一方的な搾取であるということだ。少女はやはり神の眷属と言うより、悪魔や鬼の類なのだろうと少年は薄れゆく意識の中で確信した。 じゅるじゅると自分の血が奪われているのに、途方もない熱い快楽が身を包むのを感じながら、それでも少年が少女と共に思い描くのはあの凄惨な光景だった。少年は殺された家族と殺した化け物を血の一滴一滴に焼き付けながら、その煮えたぎる血で少女の喉を犯し、白い少女はその焼けるような怨嗟をひたすらに受け止めるだけ。 やがて少女がその唇に赤い糸を引きながら口を離したとき、少年は「ああ、らしいな」と思った。赤い糸とは何とも大した〝呪い〟じゃないか、と。彼女の吐息を間近で受けながら、そうして儀式が終わったとき―――――少年は静かに息を引き取った。 … 部屋から出てきた黒百合を待ち構えていた阿倍野は「や、終わったかなぁ」と明るい調子で声を掛けた。 いたのか、という風で黒百合は忌々しげに彼を睨み、無言で背を向けて歩き出す。が阿倍野は構わず部屋を覗き込み、ほぅほぅと頷いてみせた。 「やっぱり死んじゃったか。まぁこれでまたひとつ、お前さんの〝業〟が強まったのだから問題あるまい。でなければ、わざわざ見捨てた甲斐もないというものよ」 ふふんと満足そうに阿倍野の言葉に、黒百合の足が止まった。振り返りはしないが、その視線は間違いなく阿倍野への憎悪が向けられているのだと彼は確信している。 だが、そうではなかった。黒百合は少しも阿倍野への関心を寄せてはいない。彼女の視線は真っ直ぐに、誰もいない天井へと向けられていた。 「………? 何か、見えるのかね。…カラスとか」 訊ねるが返答はなし。黒百合はまた歩き出してしまった。 その踵まである白い髪を揺らして歩く小さな少女の背を、阿倍野はふむと鼻の下の髭をさすりながら見つめる。彼女が自分を毛嫌いしているのは知っているが、それよりも優先するべきことが彼女はあるのだろう。例え少年の死が自分たちが故意に招いてしまった必然であったにせよ、黒百合は少年の〝願い〟を、新しい〝呪い〟をまたひとつを受け止めてしまったのだから。 「ふぅむ。君の体には、いまは一体何羽のカラスが巣くっているのやら…」 ―――――かつて、少女の髪が未だ黒かった頃を阿倍野誠明は知っている。 彼女は所謂霊感が強い人間であった。人には見えない〝死〟が見えた。それはカラスの形をしていると大人達に主張してはバカにされ、子供達に言い回っては嘘つきと仲間はずれにされた。虚言癖のある子なのだと、いつしか誰からも信用されなくなった。 そう、彼女は間違っていた。いや、彼女にしか見えないカラスは実在したのだ。ただそれは〝死神〟ではなく人々の怨念、憎悪の凝り固まった〝呪い〟であったというだけの話であり。 誰からも親からも信じられなくなった少女は、いつしかそのカラスに信頼を向け、けれどそれは〝呪い〟の化身でしかなく、その方向性は端から決まっており。 かくして、少女の周りは血の池だけとなった―――――。 そんな昔話を阿倍野は知っている。だが今の彼女にそれを覚えているのかを確かめる術はない。彼女は誰にも心を開かないからだ。 「まぁ………吾輩としては、実績さえあればそれでいいのだけど」 ふぅと息をつく。彼の故郷において、カラスとは神の使者である。だが同時に不吉の象徴ともされる背反の存在である。呪いとは神への祈りに近しく、すべてを貶める災いへの願望でしかない。 そして、人を呪わば穴二つ―――――〝呪い〟をかけたモノの末路には悲惨な破滅しか待っていないというのが、彼の故郷での言い伝えであり、おそらく真実なのだろうと阿倍野は思う。 そういう意味では、実績のために彼女にカラスという業を宛がうことにしている自分もまた、いずれろくな死に方をしないのだろう。黒百合というメードが、いつかその呪いの代償で地獄へと突き落とされるときに道連れにでもされるのかもしれない。だが、それはまだまだ先の話だろう。少なくとも〝呪い〟の対象がまだこの世に蔓延っている内は…。 「や、そうそう、あの二人ね。辞めないってさ。その代わり不当な命令は今後一切聴かないんだとさ。何でも吾輩のような悪党野放しに出来ないとかで。や、まいっちゃうねぇ」 口を開いてみても、やはり黒百合は無視したままだった。とことん会話が成立しない。ここまでメードに嫌われた教育担当官は自分くらいなのではないかと自負してみたりもする。 まぁ、それもいいだろうと阿倍野誠明は諦観している。生前も似たような関係だったのだし、どうせ行き着く先は同じなのだろうしと。 ただ少し、黒百合のマネをして歌を紡いでみた。故郷の楼蘭皇国で広く知られた童謡を。 あの呪いガラスの飼い主は、本当はもしかしたら――――――と。 年甲斐もなく柄でもない浪漫を、小さな背を向け続ける少女には聞こえないように、阿倍野誠明は歌ってみるのだった。 ![]() 参照:黒百合/阿倍野誠明/ワモン/ウォーリア/ザハーラ東部国境戦線/楼蘭皇国 |
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