1939年×月、グレートウォール戦線にて大量に進出してきたワモンの群れを、エントリヒ・クロッセル合同軍は各部隊を分散してこれを迎撃する。長期戦であったが、被害は極めて軽微と奇勝を飾る。
―――――ただし、エントリヒの戦車一個小隊とこれに随伴したクロッセルのメード一名が、上空よりフライの奇襲を受け、壊滅。
 エントリヒの報告に寄れば、部隊の生存者は、無しとされた。


  ◆


 私が目覚めたとき、まず最初に目にしたのは、見知らぬしわくちゃのお婆ちゃんの顔だった。
「おはよう。といっても、外はもう夜中なのだけどねぇ。年寄りに徹夜は堪えるわい」
 カッカッと笑うその人は、そうして私の頭を撫でてきた。けれど、その、たぶん私の曖昧な記憶が正しければ、私は頭を撫でられるような年ではなかったはずなのだが。
 都合良く部屋の隅にあった姿見を見やれば、ほら、やっぱり自分はどう見ても大人のはずなのだけど。
「なにをいう。ワシにすれば、お前らなぞみんな孫みたいなもんじゃろ」
 言われて、まぁそれは確かに、と苦笑した。相手は60歳はある老人で、私はせいぜい二十歳過ぎの女。孫と言われても仕方ない年齢差だと思ったのだけど。
 しかし、どうして自分の記憶はこんなにも曖昧なのだろう。自分の容姿や、言葉や知識はハッキリしているのに、自分が誰だったのか、昨日は何をした、今日は何を……経験して身につけたものは覚えているのに、その過程がまったく漠然として、ハッキリしないなんて。
「お前たち〝メード〟は、最初はみんなそんなもんじゃ。…1人だけ例外がいたが、まぁ、そう大した問題ではないさね」
「?」
 あまりにも素っ気なく簡単に言ってくれるので、思わずきょとんとしてしまった。えーと、記憶喪失って、そんなにどうでもいいことだったかな。
「ないなら、今から作っていけばいいだけのことよ」
 カンッと杖を床につき、老人は立ち上がってベッドに横たわる私の手を掴み、立ち上がらせた。
「誕生おめでとう。お前の名はハプア、今日から〝ルフトバッフェ〟の一員で、ワシらの家族よ!」
 老人の高らかな声と屈託のない笑顔に、心臓が自然と高鳴ったのは未だに鮮烈である。
 あと、この人容姿と筋力がぜんぜん噛み合ってないってことも、よく覚えていたり。肩がもげるかと思ったんですけど。


 …


 翌日、といっても日が昇っただけなのだけど。
 その日、私たちは〝メード〟という生物であると、説明された。
 というか、同じメードの人に説明されて、自分は人間ではないと言われて少しショックだった。だって姿見に写っていた自分も、目の前の少女や女性たちも、どう見ても人間にしか見えないのだから。
 でも、自分たちが人間でないことを、メードであることを眼前で実演され、実践させられて、納得するしかなかった。
 リンゴならまだしも鉄板をグシャリと潰す怪物としか思えない膂力、距離が距離なら銃弾だって〝見て〟避けてしまう反射神経、柔らかいのにナイフを通さない肌、手にした物体を世界最強へと強化する異能―――――そして何より、私たち〝ベーエルデー・メード〟しか持ち得ない、翼を生み空を駆ける飛翔能力とそれに付随した超常現象。
 シーアという金髪の女の子――――どう見ても10歳くらいの小学生は、炎の翼を持っていた。セーラという金髪の女性――――スゴく瀟洒な美人さんは、白い翼だった。そして二人ともどんな鳥よりも、飛行機よりも優雅に、そして鋭く空を飛んでいた。シーアと似たような年齢だろうアリシアという銀髪の女の子は、薄い円盤みたいな翼であまり長くは飛べないようだったけど、やっぱり人間ではなかった。
 そして、私にも翼はあった。薄い緑色の二翼、ずんぐりと太くてあんまり格好良くない翼。シーアやセーラのように速く飛べないけど、アリシアのように爆発的な加速もできないけど、ちゃんと空を泳ぐことが出来る翼があったのだ。おまけに鉄板を潰してみせたのは、当の私であったりする。
「……人間じゃ、ないんだ」
 そのうえ、私たち〝メード〟はそのうち〝G〟という怪物と戦うことになるという。
 つまり、私たちは人間の盾で〝兵器〟なのか――――そう落胆したときに。
「メードは兵器、というのが一般論ではあるやな。確かに」
 今の私と初めてであった女性で、私たちの中で一番エラい人に当たる人らしいカラヤ・U・ペーシュ様が口を開いてきた。
 やっぱり兵器なんだ、と私は改めて嘆息しようとしたけど、背中をバシッとカラヤ様に叩かれてしまって、どこかへ引っ込んでいってしまった。ああ、わかった。この人スゴい乱暴な人だ。あとやっぱり老人の一撃ではない。たぶん拳銃を頭に受けてもへっちゃらな人外の私が、痛みに思いっきり背中をさするハメになるなんて。
「ワシはそうは思わんし、ワシが作る〝ルフトバッフェ〟に兵器なぞおらん。いるのは家族と仲間だけさね」
 カッカッと哄笑するけど、いまの私はちょっと卑屈だった。背中を叩かれたせいかもしれない。
 だって、どうやったって私たちは人間じゃない。こんな怪物が、人間を素手で簡単に解体できてしまうようなモノが、人間でいられるわけがないじゃないかと。
 でも、
「問題ない。ワシが昔やんちゃしとった頃に組んどった虎男だって、人間というか武装歩兵を身ひとつで相手しとった。包丁二丁で暴君の国ひとつ滅茶苦茶にする変なのもいた。どう見ても人間には見えない鱗びっしりの蜥蜴男やらもいたが、そいつの腹踊りは天下一品の宴の華じゃった。人間だって人種国籍は多様じゃが、肌の色も気にせず白人達の中で臆せず教鞭を振るう奴もいる。なのにGと戦えるやら、空飛べるやらくらいでいちいち差別しとったら、それこそ滑稽で無意義じゃろ」
 どうもカラヤ様の人生経験は、私の想像を遥か超えているようだった。
 てゆーか、なにその冗談みたいな大道芸人の集団。え、なに。ここってそういうところなんですか。
「とはいえ、Gとゆーのはすんごく厄介というか、面倒でな。お前たちメードでしかまともに狩れんモンスターなのじゃ。昔、ちょっと鶯妃にワモンでも2、3匹斬ってこいといったコトがあるんじゃがな」
………なにか60歳半ばくらいの老人、カラヤ・U・ペーシュ様は今とんでもないことを言わなかっただろうか。
 隅で私たちをにこやかに見守っている黒髪の女性――――外見年齢は、多分私とそう大差ないけど物凄く小柄な人――――がオウヒという人なのだけど、あの人はたしか普通の〝人間〟ではなかっただろうか。
「うん、アレはまいった。一匹斬るだけで刀一本が砕けてしまう上に、瘴気という毒素のおかげで時間制限まで付いてたしな。ハハ、息を止めてもあまり効果はなかったよ、せいぜい延長10分といったところだったな」
 そう何でもない与太話のように話すオウヒさん。
 ………あれ。もしかしてここで自分の生い立ちとか種族とか悩むのって、すごく馬鹿馬鹿しかったりするわけですか。
「楽しいところだろう?」
 そう言って、外見以上に深みのある笑みを浮かべたシーアに、私は開いた口が塞がらないまま、こくりと頷くしかなかったり。
 ついでにこの後、私たちの戦闘指南役だったらしいオウヒ様と手合わせして、彼女にありったけの力で切りにいった私は、瞬間、盛大にポーンと空中へと放り投げられて、かなり納得したのだった。
 自分が兵器かもなんて悩むのが馬鹿馬鹿しいくらい、ここ化け物しかいないやん。


 …


 そうして少しの月日が経ち、いよいよ初陣となった。ルフトバッフェという独立した組織を立ち上げるための前哨戦でもある。この戦果次第で、このベーエルデーが主導となって提案した「あらゆる戦場に柔軟且つ迅速に対応する独立遊撃空軍」の発足が可決されるか否かが決まるのだそうだ。
 私の翼は空中戦には不向きな機動性だったから、同じく長時間の飛行が出来ないアリシアと組み、地上のGのワモンを。シーアはセーラと組んで、グレートウォール戦線によく出没するという飛行型Gフライを狩る。そして最終的には合流して、今回の最終目標であるヨロイモグラという超大型Gの群れを殲滅するという流れとなる。
 カラヤ様の期待と、作戦を立案した鶯妃様に報いるために、私たちが有用であることを証明するために、命を賭さなければならない。
 でもワモンなら何度か実戦訓練で目にしたけど、ヨロイモグラという未知のGにどこまで自分の実力が通用するのか、見当も付かない。物凄く大きくて戦車砲も効かないほど固いというけど――――でも、何が何でも成功させなければ。
 そう私が覚悟したときである。
「ワシから言えるのは、これだけさね」
 カラヤ様が一列に並んだ私たちの前に立って、カンッと杖を鳴らした。
「死ぬな。以上」
 …………。
 …………。
 …………。
 ………あれ。それだけ?
「ん、不服かえ。なら、生きて帰れ」
 …ええ?
「ふむ。じゃあ、怪我をするな」
「いきなり難易度が急上昇したわね」
 セーラさんが苦笑する。確かに無傷で帰るというのは結構大変そう―――――というか、あれ。絶対に作戦を成功させろとか、そういう言葉を予想していたのだけど。
「んまぁ、それは成り行きで構わん。成るように生きてりゃそのうち成るじゃろ。昔のワシもそうじゃったし」
「でしたねぇ。ん、もぅ……よくもまぁ、よく生きてますよぅ。本当に」
 今回列席していた、このベーエルデー連邦で一番エラい人、チーター・ブロッケン議長がやれやれと呆れたように肩をすくめた。亜人という動物のような人間、もしくは人間のような動物、なのかそういう人らしい。あーもしかして件の虎男って、この人なんだろうか。
 とか思っていたら、カラヤ様がまた杖を鳴らした。カンッという音に思わず身が竦む。
「そう。まずは生きてなければ話にならん。一人の欠員も許さん。その代わりワシらはGとは戦えんが、お前達が帰ってくる場所は必ず守り通す。だから必ず、帰ってこい。良いな」
 カラヤ様の、老いたとは到底思えない燃えるような瞳に見据えられて。
 その信頼に満ちた鮮烈な言葉と憂いのない笑顔に、私たちはハッキリと応えた。
―――――勿論、初陣は快絶なほどの勝利であった。


 
 …


 そうして、ルフトバッフェは設立を認められた。でも諸処の雑務を担当しているララスン様曰く「まだまだ独立部隊には程遠い」なのだそうだ。もっと頑張らねば。
 またメードも三人ほど新たに誕生し、仲間に加わった。シーアと同じくらいの女の子のミシャ、控えめだけどよく気が利くエレル、陰気で引っ込み思案だけど、実力は本物のスタトナである。たった三ヶ月程度とあまり差はないけど、それでも一番下だった私に後輩が出来たことは素直に嬉しいことだったり。
 日常は相変わらず騒がしい。訓練したり、Gと戦ったり、久方の休日にはセーラとショッピングに出かけたり、シーアとよく分からない観察日記を付けたり。……なんでアリシアとミシャの観察日記つけてるんだろ、私。
 そして今、少し前から始まったばかりの目まぐるしい日常の中で、私はかつてないほどの緊張感を味わっていた。
「………スタトナは分かる。私より背が高いし」
 ルフトバッフェの中で一番背が高いスタトナは、そう言われてビクビクと震えていた。なんかそのギャップは可愛い気がするけど、今はそんな余裕も感じられない。
「………エレルはそこそこよね。外見通りよね」
「う……うん、まぁ、普通、だと思う、けど…」
 エレルが申し訳なさそうに歯切れのない口調で呟く。今回ばかりは気配り上手の彼女も言葉が見つからないらしい。
「……シーアとアリシアは当然よね。むしろ比較というか、見る方がおかしいわ…」
「む…う…」
「フッ。外見相応と受け取っておこうか」
 アリシアはぐぅの根も出ず、シーアだけが超余裕でいつも通りの不貞不貞しい態度を崩さない。この子の心はきっと高潔な、鋼の魂で出来ているに違いない。
「………ハプアは、でかいわね…」
 ジロリ、と睨まれて思わず喉から悲鳴が漏れかけてしまった。
 怖い、あの目はマンティスの鎌よりもぜんぜん怖くて、それがドスの効いた声と一緒に降りかかってきたものだから、もう堪りません。正直逃げたいですカラヤ様。
「………でも、なんで」
 そうして彼女――――セーラさんは、ギロリと自分の頭一個分以上小さなミシャを見下ろした。可哀想に、新人で子供なミシャはもうチワワのような小動物となってしまっていた。
「なんで、ミシャが、こんなに…こんなに……!」
 ゴゴゴゴなんて効果音が聞こえてきそうな程、セーラさんは震えている。空間が炸裂して次元の扉が開いて、第三魔王が降臨してしまいそうなほどの威圧感に、ミシャが涙目になって近くにいたシーアの後ろへ逃げ込む。
 そして何故か嬉しそうなシーアさんごと見下ろしながら、セーラさんは深淵の底から響く悪魔の歌声の如く、絶叫した。
「なんでそんな、胸がでかいんじゃあああああ!!! 服着てるときは普通だったじゃない! 着痩せか、これが着痩せ効果なのか!! もぉみんな、みんなたわわすぎるわよ本当にぃいいい!!! 蝋人形になって溶けちゃえばいいのよそんなおっぱいぃッ!」
 大音響で、大音量で浴場に轟くセーラさんの悲しみに満ちた声に、メンバーは痛惜したように目を伏せるしかない。
 たぶんもうセーラさんは限界だったんだろう。今まで積もりに積もったストレスが、ここにきて――――「私の故郷では、みんなで裸になって風呂に入ることで、親睦を深めたりするんだが」というちょっと天然入った鶯妃様の提案が可決されたことになって、噴き出してしまったのである。
 セーラさんは美人である。瀟洒すぎるほど均衡の取れた容姿とスタイルである。けど、だけれどそのセーラさんの胸は、胸だけは女の人とは思えないほど見事な大草原、真っ平らなのであった。
 同じ女性として、その自分の身体へのトラウマは痛いほど理解できる―――――かと言えば、別にそうではなかったりするけど。だって私の大きいおっぱいって、正直肩こるし、斧を振るうのにも邪魔だし、ノーブラだったりして揺れると痛いし。あと容姿が完璧なセーラさんに、私やエレルのような平々凡々な女の気持ちなんて分かるわけないだろう。贅沢が過ぎるぞセーラさん―――――とはさすがに今の魔王セーラに言えるわけがなく。
「ハハ、気にするなセーラ殿。私もまったくないが、気にしてないぞ」
 大胆不敵なのか単に空気のまったく読めていない鶯妃様と、
「そうだな。女性の価値は胸で決まるものではないぞセーラ。女性の価値は君のトータルで決定する。その点でセーラは十分魅力的なレディだよ。あと、貧乳は希少価値だ、という格言が」
「あるかぁああああ!!!!」
 ドガシャーンとスゴい勢いで上から下へと手をフルスイングしたセーラさんの攻撃! 発生したお湯の津波がシーアの顔面に直撃して、哀れにも大胆不敵すぎた金髪紳士シーアはブクブクと沈んでいった。
「こら、風呂場で遊ぶな。はしたない」
 そこで元教師の威厳を遺憾なく発揮したララスン様が、ピシャリとセーラさんを叱責する。が。
「アナタもでかいじゃないですかーぁああああ!!!」
 もう実は号泣していたセーラさんは止まらなかった。ララスン様の胸を掴んでぶんぶん振り回す。あ、でもそれ本当にヤバい気がするですよ。
「い、いたッ、ちぎ! 千切れるぅうう!!」
「セーラ! さすがにそれは拙いです! というか胸くらいで不満言うなこの美人がーッ!」
「湯船を鮮血に染める気か己は!!! 背が高いのがそんなに偉いかーッ!」
「艶々の金髪、羨ましい…」
「うわぁああああん!!! おっぱいなんか消えてしまえー!!」
 もはや乱闘である。波乱の大乱闘である。ついでにみんな自分の不満も漏れまくりである。
 風呂場は嵐とかし、お湯やら鶯妃様の故郷のものらしい木の桶やらタオルやら石鹸やら泡やらが飛び交う、天変地異の真っ只中に突き落とされていた。
「ふふ、そしてミシャ君もまた、素晴らしい少女だと思うよ」
「え、ああああののの…ちょっと…!」
 そしてどさくさに紛れてシーアがミシャに迫ってるし。なんだこれ。とりあえず間に割ってはいっておくことにしよう。じゃないとミシャのなんか大切なものが危険な気がするし。
「ハハハ、みんな元気だな」
 アンタは暢気すぎです、指南役。
 そして。
「いいのぅ。楽しそうじゃのぅ……ワシも一緒に入りたいのぅ…」
 足を悪くして「風呂。ダメ。危険」とドクターストップをかけられてしまったカラヤ様が、入り口で妬ましそうに眺めてたのだった。子供ですか私らのお婆ちゃんは。
―――――いや、まあでも。
 こんな家族となら、このルフトバッフェはきっと素敵な未来になると思えて、口元が自然と弛みっぱなしだったのだけど。
 これからどんどん仲間も増えて、もっともっと賑やかになっていくのだろう。そうなったら素敵だ。悩んでいるヒマなんて与えてくれないほど、こんなに楽しくて忙しない日常なら大歓迎なのだから。
 きっと、ルフトバッフェは素敵な場所になる。私たちの家は、私たちの帰る場所はきっと尊いものになっていく――――私はそう信じている。私たちの翼は、これからどこまでだって飛んでいけると信じている。
 これからもこのルフトバッフェを築くために、守るために、生きていこうと思って――――――。


 …


  
 懐かしい夢を見た気がする。実際には、そんなに昔のことではないのだけど。
 だって私は、ハプアは、カラヤ様の「おめでとう」を聞いてから、まだ一年も生きていないのだから。
 状況が分からない。ただ視界が赤く染まって、ぼやけている。見えているのは空だろうか。
 仰向けに倒れているのか、自分は。立ち上がろうとするけど、全身に堪った疲労で力がまるで入らなかった。それでもどうにか気力を振り絞ったけど、体は心と切り離されてしまったみたいに言うことを聞いてはくれなかった。
「ああ…そうだ」
 私は戦っていたのだ、Gと。グレートウォール戦線で、みんなと離れて一人派遣されて…それで。
「………それ、で」
 赴任した戦車小隊には、何故か報告にあったはずの私以外のメードがどこにもいなくて。それでもワモンの群れを殲滅しきって、帝国軍人さん達と安堵していたとき――――空から、フライがいきなり襲いかかってきて……それで。
「………」
 首をちょっと動かすと、フライと屍骸と、フライに食いつかれてグチャグチャに歪んでしまった戦車があった。周りには歩兵さん達の死体があった。
 周りには、死しかなかった。
 フライはどうにか殲滅しきったのは覚えている。けど最後の一匹の執念染みた反撃をまともに受けてしまったのだと、思い出す。疲労困憊だった私の体は、それでもうダメになってしまったのだ。
「………でも」
 それでも死亡に到らないのは、さすがメードなんだなぁ…と改めて思う。頭に一撃もらったのか、随分と焼けるような頭痛が酷いけど、それでも死ぬほどじゃない。まったく動けなくて戦闘不能ではあるけど、致命傷ではなかった。
 ゆっくり休んで、こうして安静にしていれば、いずれ回復する程度の傷だ。
 だからゆっくり待っていよう。誰かがきっと見つけてくれる。グレートウォール山脈の中央に流れるブリューグ川を挟んで向こう側で戦っているシーアたちが、帰りが遅いと迎えに来てくれるかもしれない。
 大丈夫。カラヤ様、私はちゃんと生きて、帰ります。必ず。
「…………で地獄だな、こりゃ」
 ふと足音と話し声がした。体を動かすことはできないが、誰かがやってきたらしい。
「……のメード、生きてるな」
 視界に入る。どうやらエントリヒの兵士さんのようだ。
 良かった。みんな、これでちゃんと帰れるよ。
「……空戦メード……ッセルだけが独占し…」
「……我…帝国にも………コアを……」
「……こ…には、死体だけ……」
 兵士さんたちが何か話している。けど、よく聞こえてない。疲労も限界を超えると、ここまで身体を脅かすものなのか。みんなにも教えておかなきゃ。
「………コア……きずり出し……」
「……初から……死んでいた……とに…」
「回復され…面倒……この場で…」
「…死体……そこらへ……と一緒……燃やし……」
「ナイフでいけるか?」
 何かの拍子に、その声だけが唐突に聴覚に響いた。
 そしてその兵士さんが手にしたナイフが、赤い視界の中で閃いて。
 ズン、と私の胸に、突き、刺さった…?

―――――――ザクッザクッザクッと。疲れた体に皮膚を切り裂かれる痛みが蛇のように脳を噛み千切る。なんで? なんで? なんでなんで何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故?!!

「クソッ、ナイフじゃ無理だ。死に体のくせに肉が鉄みたいに固い!」
「だったら、これでどうよ…っ」
 視界に別の兵士が写って、振りかざしているそれは土木用のシャベルが――――――。

 ガンガンガンと振り下ろされて殴打されたり私という地面に突き立てられる度に、私の動かない手と足がビクリと跳ね上がって、喉の奥からか細い悲鳴が漏れる。それでも彼らは止まらない。むしろ私が辛うじて動かそうとする手を踏みにじり、別のシャベルを突き立てて壊そうとする。
 ガンガンガンガンとノックされ、私の胸がどんどんどんどん血溜まりになって抉られていく。グズグズになっていく肉と一緒に意識が血の色に染まって、心が真っ黒に犯されて、鋼のように固い私の肋骨が断末魔をあげ、神経が恐怖に血溜まりをのたうち回る。思考が疑問と悲憤に食い尽くされて、視界がどんどん赤く赤く沈んでいく。
 でも。黒い影と暴力が赤い視界の中で閃き続ける中で、痛みより痛いより悲鳴より嗚咽より絶叫より何より、私の声は疑問が勝った。
 どうして。私は帰れるはずだった。私は生きて帰れるじゃなかった? なんで。どうして。こんなことに?私は私は私はこんなにこんなに帰りたいのに!!
 逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。私は絶対に生きて帰らなきゃ。絶対に必ず完璧に生きて帰らなきゃ。カラヤ様に言われたんだ。みんなが待ってるんだ。私はあそこへ帰りたいんだ。ルフトバッフェに帰りたいんだ。私たちの家に帰りたいのに。
 動かない。もう動かない。私の体はどうしようもなくもう死に体で。疲労に全身を嬲られていたところに、新しい痛みが暴力が蹂躙しにくるなんて―――――逃げなきゃ。死んじゃダメなのに。生きてなきゃいけないのに。
 ガンガンガンガン!ズシャズシャズシャ! 彼らは何か必死に私を掘り起こそうとしている。私の中の何かを掘り起こして、私の命ごと私の記憶ごと私の思い出ごと奪い去ろうとしている。わたしの一年にも満たない、けれどとても大切な思い出を盗ろうとしている。
 嫌だ、そんなの嫌だ嫌だ嫌だ、私は帰りたいんだ。みんなのところへ、みんなの笑顔の前にまた立ちたいのに。
 なのに動けない。なんで動けない。どうして動けない。どうしてどうして、私の意識はこんなにも黒く黒く沈んでいくのだろう。

「馬鹿かお前ら。まだ〝生きてる〟なら、固くて当然だろ。まずは完全に〝殺す〟べきだろ。だったら狙うのは本命じゃなくて、まずは――――」

 また別の兵士が、私の赤い視界に、穴を押し当てた。銃口という、とてもとても暗い闇を。
 他の二人も頷いて、私の口やもう一つの目にライフルを押し付けてきて、引き金を…。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ああ、そうか。私、死ぬんだ。


 Gに殺されるのでなく、怪物にではなく、化け物にではなく、ただの人間に殺されるんだ。
 そうか、本当に。カラヤ様、本当に〝兵器〟だなんてどうでもいい話でしたね。思わず苦笑してしまう。もっとも、私はもう表情を変える余力すら残っていないけど。
 エターナルコアはフル稼働で私を助けようとしている。私たちメードをメードたらしめる不思議な石が、血を流脈として、全エネルギーで私を助けようとさっきから躍起になってくれている。疲労で動けない私をそれでも守ろうとしてくれていた、みんなとの絆は、わたしの翼はまだこんなにも諦めていないのに。
 私だってね。本当はいやなんだ。でも、これはどうしようもない。本当にもうどうしようもないから。
 ごめんなさい。
 せめて、意識だけは、あの場所にいようと思うんだ。黒くて暗くて深い場所じゃなくて、明るくて温かいあの場所を思い浮かべていようと思うんだ。
 みんなの笑顔を最期まで見ていたいんだ。一握りとは言わず、私にはいっぱいの救いがあったから。だからせめて心だけでも、カラヤ様の約束を守って、みんなのところに帰れるのなら―――――。
 だから、ありがとう。
 どうかみんな、元気で、幸せに――――――――――。


 ……数多の銃声がして。
 私の世界はかき消えた。
 
 

  ◆◆◆



「シーア!待って! どこに行くの!」
「ハプアを探しに行く」
「無茶よ! 一睡もせずにもう丸三日も探し続けてるじゃない! 体が持たないわよ!」
 セーラの呼び止めにも、はたして彼女は聞く耳持たなかった。彼女を象徴する赤い外套を翻して、グレートウォール戦線に設置された陣営の天幕から飛びだそうとする。
「ダメだ」
 それを、今に入ってきた鶯妃が制した。その腕を掴まれ、それだけでシーアの体はガクンと脱力したかのように揺らいでしまう。
「……幾ら君でも、三日間飛びっぱなしではそうもなる。いつGが侵攻してくるかも分からないんだ。手遅れになる前に、休息を取れ」
「……ハプアが、見つかっていない」
 ギリッと、いつもはまったく態度を崩さないシーアが奥歯を噛みしめるのを、鶯妃やセーラたちは初めて見た。こんな焦燥しきった悲痛な彼女は初めてだった。けれど気持ちは誰だって一緒だったのだ。
 セーラだって我慢しているが、今すぐにでも飛び立ちたいのは表情に見えている。それでも自重しているのだ。
 スタトナは生来の性格故か、すっかり消沈してしまっており、しばらく動けないだろう。穴を埋めるべく戦線を守り続けているアリシアやミシャ、エレルだってみんな思いは同じハズなのだ。
「……シーア、貴方一人が心配してるわけじゃないのよ。みんなだって……でも、それでも…!」
「だから。この戦線にあって、最も長く飛べ、最も能力が強い私が探すのが………一番〝年上〟の私が、適任のはずだ」
 セーラの声に、やはりシーアは頷かない。いつもの余裕のある笑顔は完全に形を潜め、鬼気迫った瞳で自分の手を拘束している鶯妃を睨み付けてくる。
「―――………鶯妃殿。手を、離してくれ。でなければ、力尽くではね除けることになる」
「ッ! シーア、いい加減に…!」
 堪らずセーラが口を開いたが、それを制するように鶯妃が口を開いた。
「責任があるとすれば、この私だ」
 しかしそれは。
「…ハプアを一人、遠方に配置してしまった、この私の責任だ…ッ!」
 怒鳴るように、あるいは噎び泣くような彼女の声にシーアも、そしてセーラも驚きに表情を崩してしまう。
 鳳凰院鶯妃もまた、シーアと同じく滅多に態度を変えない女性だった。厳格で粛々とした人柄ではあったが、その笑顔はいつも穏やかであるが故にいつも何を考えているのか曖昧な、そんな人だった。
 それが、今感情を吐露にして叫んだ。その表情は自責で歪んで、長い黒髪が虚空に揺れる様が流れ落ちる涙に似ていて。
「エントリヒのメードと合同に配備されるのだから、相手はワモンだからと戦力比を甘く見積もった、私にすべての責がある! シーア、セーラ、アリシア、スタトナ、ミシャ、エレル、ハプア!……君たちに謝罪しなければならないのは、この私なんだ。責められるべきは到らない私なんだッ! シーア、君じゃない!!」
 小さなシーアの肩を抱き、鶯妃は膝をついてその胸に頭を垂れる。その姿に、あまりにも痛ましい姿に頑なだったシーアの目が、沈痛に歪んだ。
 この三日間、自分が無茶をしているとき、この人はずっとこうして胸を痛めていたのだろう。ハプアを憂いながら、それに引きずられるように病んでいくシーアのことを懸念し、ずっと苦しんでいたのだろう。
 だったなら、この人を、鳳凰院鶯妃を追い詰めたのはこのシーアに他ならないのだと、悔恨の思いが押し寄せて心を突き崩してきて。
「……すまない、鶯妃殿。……申し訳ない……本当に、申し訳、ない…」
 いつしか、シーアの目から涙が溢れていた。彼女は外見の年齢と精神は比例していないことは、セーラも知っている。そして彼女がカラヤと鶯妃、ララスンと自分しか知り得ない〝特例〟のメードであることも承知しているけれど――――――それでも、彼女はやはりまだ年相応の少女でしかないのだ。家族を失うという本当の意味を、シーアは未だ知らなかったのだ。
 そしてセーラもまた――――目覚めてから一年も経っていない〝セーラ〟という人生において、こんな光景は知り得なかった。こんな悲しみを知らなくて、抵抗の術を持たなくて。自然に目頭が熱を持って、頬を伝っていくのを止めることもできなかった。
 だけど、彼女は違ったのだ。
「――――誰の責任でもない。自分を責めるな、二人とも」
 天幕の前には、杖を突いた老人がいた。介添えがなければ立つことも難しい身でありながら、自分の足だけで堂々と立ち、まったく衰えない燃えるような眼光で三人を見据えている。
 カラヤ・U・ペーシュ。ルフトバッフェの総司令にして、ベーエルデー連邦の軍事顧問役。〝蛮王〟の異名を取る、数多の伝説を気付いた女傑がそこにいた。
「か、カラヤ老…どうしてここに…」
「総司令が最前線に出てきてはいけない、などとは言うなよ鶯妃。そんな常識はこの阿婆擦れには通用せんし……まぁ、老婆心だと罵るのなら、それは素直に受け取ろうさね」
 彼女は静かに、本当に静かな笑みを浮かべてシーアの頭を撫でた。
「セーラも来い」と彼女を呼び寄せて、セーラの頭と、鶯妃の頭も撫でてやる。
「泣くな。そして信じろ。自分の家族を、仲間を信じて待つことを知れ。ハプアがいつ帰ってきてもいいように、ワシらはワシらに出来ることを――――その場所を、守っていかんとな」
 だからもう泣くな。涙を拭いて誇らしく立て、いつでも屈託なく笑えるようにとカラヤは笑う。
 こうして笑うのだと見せつけるように。自分の人生に一遍の悔いなく、小さな無数の救いを輝かしい人生だったと、誇らしいものであったと笑えるように、笑ってみせろと。
「……それにまず、ちゃんと休むときには休まんとな。みなに心配をかけるのは、笑えんじゃろ。のぅ、シーア」
「――――――――は、い」
 グリグリと金髪をなで回されながら、小さな赤のメードは頷いたのだ。




――――――1939年×月。ルフトバッフェから一人のメードが消えた。
 そして1945年現在。
 彼らはハプアの帰還を信じ、今も待ち続けている。
 例えあの時のメンバーがもう永遠に揃うことはなくても。例え永劫に言葉を交わすことが出来ないのだとしても。 
 例えそこに体はなくとも、このルフトバッフェという家で、待ち続けている…――――――。


 







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