――――1940年1月。ベーエルデー連邦の首都ベオングラドは、今年も深雪と寒烈に見舞われていた。
 街一面が白に染まり、凍えるような空気が肌に突き刺さってくる。降り積もった雪によって交通機関は軒並み麻痺し、人々は除雪に追われたり、いつもの何倍の時間をかけて見えない街路を歩いて行かなければならない。
 しかし5月と9月、10月以外極端な気候であるこの地域に住む人間にとってみれば、これは毎年当たり前のようにやってくる雪景色である。苦ではあるが、愚痴るほどのことではないのだ。
 そして、そんな首都にあるカラヤ・U・ペーシュの屋敷の中庭にて、私たちルフトバッフェの面々は寒空の下、久方の休養を満喫していた。
「ベオングラドの冬は厳しいって聞いてたけど、まさかこんなに雪が積もるなんてねー」
 私は一面雪景色の中庭に、思わず感じ入ってしまう。どうも曖昧だけれど、私の記憶には、このベオングラドの冬の風景はなかったのだ。
「除雪が大変そうだ。……というか、大変だった」
 そうウンザリしたように言って、アリシアがズッと熱いお茶をすする。彼女もこのベオングラドの雪は初めてであるらしい。
「そうね。うっかり庭園を壊しちゃったら、大変だものね」
 それはとても厄介そうだと、私は苦笑する。そしてアリシアと一緒に除雪をしていたらしい、昔からカラヤ様の介添えをしているルフェルさんからもらった紅茶を口にした。む、いつもながら見事なお手前です。あとでお礼を言っておかなければ。
「セーラも手伝ってくれれば良かったものを。ミシャとスタトナ、それに新人のジェフティは熱心に手伝ってくれたのだぞ」
 口の中に広がるダージリンの香りと妙味を堪能していたら、ジロリと恨めしそうに言われてしまった。
「ごめんなさいね。こっちもこっちで、ララスン様の書類整理を手伝っていたものだから」
「ん。そ、そうか……それはすまない。……シーアも鶯妃殿を手伝っていたらしいし、結局午前は、みんな休んでなかったのだな」
 そして視線を移した。歩くのに不自由しなくなった中庭で、みんな思い思いに午後の休みを楽しんでいるのだ。
「雪をこうして、こうしたら……ほら、家になるんですよ。中は暖かいんですよー」
「なるほど。雪の有効な活用方法として記憶しておきます」
 ミシャとジェフティは〝かまくら〟という雪室を中庭の一角に築いていた。鶯妃様の故郷にある、1月に行う子供たちの行事のものなのだそうだ。
「子供の行事、か。言い得て妙…かな」
 私たち空戦メードも翼を出さなければ、普通に寒いものは寒いので防寒具を身につけているが、毛皮でもこもことした服を着込んだミシャのそんな様子は、本当にただの子供のようだ。
 そして、その傍らに立っているジェフティは、今月に新しく仲間となった空戦メードである。常に無表情で無機質な感じがする子で、口調の異常な丁寧さもあって、なんだか機械みたいな印象を受ける女性である。けど、かまくらに興味津々になっている姿をみれば、そんな第一印象も一瞬で氷解するというものだった。私よりも年上っぽいのに、なんだかミシャと同じくらいの子供に思えてしまう。
「―――ふふ、何故かな。中はあたたかい、なんて聞くと、心が自然と昂揚してしまうよ」
 で、外見はまったく子供のくせに、言動と態度がどうみても変態紳士なのがひとり。
「どうかなミシャ。このはちきれんばかりの昂ぶりに身を任せて、今日の夜空を二人で浪漫飛行するというのは」
「はい、間に合ってます」
 そして満天の笑顔で、容赦なくシーアの心を打ち砕くミシャ。……強くなったわね、本当に。花丸をあげたい。
「……フ。さすがにこうも見事に断られると、ちょっと、かなり、自信を…喪失してしまったり……するんだが………うん、でもその笑顔のキュートさにも私の心はハートブレイクさ…」
 フラフラとしながらも、赤いマフラーとコートに身を包んだシーアはグッと堪えて、いつものように凛と立った。言動さえ間違ってなければ、とても可愛らしい――――というより美しいと思うのだけど。
「ではジェフティ君。どうかな、今夜…」
「ノーサンキュー。間に合ってます」
 そして諦めていなかった赤い変態紳士は、またしても完膚無きまでに叩きのめされた。なんか「グフッ!」とか青いロボットみたいな悲鳴上げてるし。でもあの無表情無機質っぷりで即答されたら、確かに辛いものがあるのだろう。私にはよく分からないけど。
「これでいいのですか、ミシャ」
「はい、完璧です。シーアさんの誘いはまともに受けちゃダメだからね」
「了解致しました」
 崩れ落ちようとしているシーアの前で、かまくらに潜り込みながらそんな会話を楽しそうにする二人。ちょっとシーアが哀れに見えたりして。まぁ本当のことなのだけど。
「――――――くっ、ならば!」
 バッとこちらを振り返ったシーアだが、標的はもちろん私などではなく、ミシャと同じく小さな、身長140センチの小学生のようなアリシアなのは目に見えている。けれど。
「あら…」
 彼女はいつの間にかいなくなっていた。逃げたな、アリシアめ。
 屋敷にでも逃げたかと目を走らせてみて―――――窓からこちらを眺めているカラヤ様と目があって、ちょっと気恥ずかしかったり。軽く手を振っておくと、何故か親指を立てられた。なぜ?
「…………今日は、日が悪いようだ…」
 そしてスゴスゴと退場しようするシーアさん。やっぱり私は何故か対象外らしいけど、それはそれで何か悔しいものがある。幼さ以外に何か選定基準があるのだろうか――――いや別に、本当にどうでもいいのだけど。悔しくなんかないのだ。ない。はず。
 けど、その赤い背中があまりに悲壮感に満ちていたからか。それとも彼女のトレードマークである左後頭部で纏められた髪が、しょんぼりと寒風に揺れていたからだろうか。かまくらからひょっこりと顔を出したミシャが、シーアを呼び止めた。
「あの…一緒に、かまくらに入りませんか? あったかいですよ」
「鳳凰院鶯妃さまから頂いた、ミカン科ミカン属の柑橘類果物もあります」
 ジェフティもミシャに倣って、シーアを誘った。
 あ、なんかシーアってば本気で感涙してるっぽい。
「ハハ、今日は、最良の日だった!」
 そして何故コートを脱ぐか、シーア。
「……っくしゅん!!」
 案の定ベオングラドの極寒の洗礼を瞬く間に浴びて、震え出しているし。しかし―――。
「くしゃみは外見相応なのねぇ…」
 可愛いじゃないと、ズッと最後の一口の紅茶を口に入れた。シーアは苦笑するミシャたちに促されて、かまくらの中へ。私もあとで入れてもらおう。
 そしてふと、庭の隅でずっと座りっぱなしで動かないスタトナが目に入った。
「………」
 スタトナは内向的で大人しい子だ。私たちの中では一番背が高いけど、一番気が弱いのも彼女だった。
 だから、ハプアが行方不明になったときの彼女の落ち込みようは、酷いものだった。とても戦闘ができる状態ではなかった。
 そして―――――エレルが死んでしまったときは、その比ではなかった。一週間も部屋に閉じこもってずっと泣き続けて、日常の生活さえままならないほど塞ぎ込んでしまっていた。
 けど2日ほど前に、ようやく部屋から出てきてくれたのだ。顔色は当然悪く、消耗しきっていたけど―――――それでもどうにか、立ち直ってくれたのだと信じたい。
 私はスタトナに歩み寄って、声をかけようとした。でもその前に、彼女が何をしていたのかを見て、思わず息を呑んだ。
 スタトナはずっと、スケッチブックに絵を描いていた。鉛筆一本だけで写真のように見事な絵を、この寒さも気にせずに描き続けていたのだ。
 覗き込むと、そこにはさっきまでの庭園の様子が描かれていた。紅茶を飲む私とアリシア、ミシャとジェフティとシーア――――そして、いるはずのないハプアとエレルまで描かれていた。まるで本当に、今の今までそこにいたかのように。
 写真ではけして為し得ないその一枚の絵に、優しく笑っているエレルとハプアの姿に、私は言葉を失って。
「………スタトナ」
 声をかけた。
 スタトナは驚いた様子もなく、チラッと自信なさげに、今にも泣き出しそうな目で見上げてくる。彼女はいつもこんな様子なので、そのことは気にはならない。けれど。
「絵なんて、描けたんだ。こんなに精密に……凄いね、スタトナは」
「………絵は、好き、だから」
 ぽつぽつとした口調も、いつもの彼女のものである。いつも不安そうに、おどおどしているのがスタトナだった。
 でも誰よりも仲間と家族を大事にしているのも、スタトナだったと思う。不安そうにしながらも、みんなの輪に入ろうと頑張っていたのも彼女だったと知っている。
 だからこの絵は、きっと彼女の理想で、夢なのだ。
「でも、ダメ……私の絵は、ただの模写だもの……絵画としては、駄作なの…」
「そ、そう…なんだ。難しいのね」
 残念ながら私に芸術への知識はないから、何がダメなのか分からなかったけど。
 そうしてる間にスタトナは鉛筆を躊躇無く紙の上に走らせていく。あっという間に鶯妃様が描かれて、カラヤ様とララスン様が付け加えられた。
 彼女の手が一旦止まったとき、そこには、私たちのルフトバッフェが描かれていた。
 それを眺めるスタトナは、でも浮かない面持ちのままだ。描いたエレルとハプアをジッと見つめて、唇を噛んでいる。理想を描きながらも、現実になり得ないことに苦悩しているように、鉛筆がエレルとハプアの絵を消そうと何度も震えて。
「……ダメよ」
 私はその手を制した。
 スタトナは泣きそうな目で見上げてくる。私よりも大きいくせに、幼い子供のような彼女に、私は目一杯微笑んで見せた。
「この絵、まだスタトナがいないじゃない。ちゃんと描かなきゃ、仲間なんだから。でしょ?」
「…………うん」
 こくりと頷いて、彼女は自分を追加していく。シャカシャカと何の迷いもなく線を引いていき、いっぱいの線が人の形になっていく。
「……自身の絵もこんな正確に描けるんだから、やっぱりスタトナの絵って凄いんじゃないかしら」
「ううん。絵としては、駄作…だよ」
「そ…そうなんだ…」
 やけに自信たっぷりに確定的に言うスタトナに、私はつい気圧されてしまった。なんだろう、芸術家ならではの感性ってものなんだろうか。
 でも、やっぱり私にとってみればこの絵は、とても。
「それでも私は、スタトナのこの絵、とても好きよ。欲しいくらい」
「………出来たら、あげても、いい…」
「本当に?」
「…うん…」
 しゃかしゃかと鉛筆で更に線を巧みにしながら、スタトナはこくりと頷いた。
 私は「ありがとう。大切にするわね」とお礼を言って、隣に座る。
 鉛筆がまるで魔法の杖みたいに、スケッチブックに眼前の光景が描かれていく。
「……セーラ…」
「ん?」
「……わたしね……みんなのこと、好き…だから……」
 だから、せめて絵にしたかったのだと、彼女は自信なさげに、でも確かに照れくさそうに、はにかんだのだ。
 そんなスタトナの大切な理想が形になっていくなんて、本当に魔法のよう。雪の中に現れた、魔法使いのようだった。


 …


――――1940年1月末。天候は、生憎の曇天。けれど雲の上まで出ればそんなことは関係ないのだが、今はそういう状況ではなかった。
 私とシーア、ミシャとそしてスタトナはいま、グレートウォール戦線でいつものように戦っている。エレルの死に打ち沈んでいたスタトナにとっては、復帰してから初めての戦闘である。私たちはもう少し間を置くべきではないかと言ったけど「みんなと一緒にいたい」というスタトナの頑なな願いを、無下にするわけにもいかなかった。
 天候は曇天。グレートウォール山脈中心であるアクサグラッド山に設置された対空監視レーダーからの報告に寄って、私たちは侵攻してくるフライを撃退すべく出撃している。
 灰色の雲がいまの空のすべて。ベオングラドの白い寒空よりもどす黒く濁った、不気味に沈んだ世界がいまの私たちを包む空だった。
 報告にあったフライの数は30程度で、実際遭遇した数も大差はなかった。私たち4人にとってみれば、そう大した数ではない相手で、スタトナへの負担も憂慮していた私たちは、内心ホッと胸をなで下ろしたのが――――つい先ほどまでのこと。
 頭上は曇天。分厚い灰色雲に覆われ、太陽の光をまったく阻む暗闇がそこに鎮座している。
 そして。
「―――――…嘘、でしょ」
 私たちは愕然とした。
 その雲を割るようにして上空から舞い降りてきた、その異形の姿に。
 その存在に言葉を失ったのだ。
――――ソレは、トンボのような姿をしていた。一目見て、ソレがGだと分かるほどの瘴気を、その四枚の薄い羽に宿して虚空に浮かんでいる。
 フライはハエの形をしたGだ。そしてゴキブリのようなワモン級に、カマキリのようなマンティス級、ムカデのようなセンチピート型とと多才なバリエーションを持つ彼らのことだ。だからトンボのようなGがいたって、それほど不思議なことではないと思う。
 でも、あり得ない。こんなデタラメは馬鹿げている。
 私はただ見上げることしかできない。ミシャはソレの存在感に気圧されたように呻いていて、気の弱いスタトナはすっかり震撼してしまっている。あのシーアですら、言葉を失ってしまっていた。
 私たちが、メードが、空を飛ぶことを覚えたことに対する当て付けとでも言わんばかりに。
 ソレは、圧倒的な〝巨大さ〟をもって私たちの前に君臨したのだ。
 身の丈は50mを優に超える怪物は、最大級のGであるセンチピートのような巨体を難なく中に舞わせて、私たちを睥睨している。その頭だけで、その複眼だけでも私たちより遙かに大きい。
 20m級のヨロイモグラを相手にしたことがあった。でも相手は異様に固いだけで、ただ巨体を猛進させることしかできない鈍重な怪物でしかなかった。だから倒すこと自体は困難でも、それほど恐ろしい相手ではなかったのだ。
 センチピート級だって1度目にしたことがある。別名ドラゴン級とも呼ばれる最大のGだったけれど、防御力はたいしたことないが、とにかく桁外れの生命力と瘴気のレーザーブレスを吐きだす恐ろしく手強い相手だった。でも空を駆る私たちにとって、地上を這うムカデの攻撃方法は限定される。落ち着いて対処すれば問題なかった。
 けれど違う。これは、何かが違う。
 こいつは何だ。こいつの異常な威圧感は―――――存在感は。
 なんでこんなものが、空にいる。
「来るぞ!!」
 シーアが叫んだ。巨大トンボではない、その周りを飛んでいるフライが一斉に雲の中から飛びかかってくるのを予見したのだ。
 その数、報告されていたフライの実に倍。
「ッ――――弾幕を張るわッ、巻き込まれないで!!」
 私は叫んで、即座に翼を広げて攻勢の意識を流し込む。はたして白い蝶のような翼は私の意思をくみ取り、白光の弾丸として一斉に撃ち出した。
 前面すべてを覆い尽くすように撃ち出されていく私の散弾は、音速を超えた弾幕となって襲い来るフライたちを迎撃する。
――――シーアの炎翼に比べれば、私の白い蝶の散弾は一撃の威力で大きく劣る異能だ。けれど瞬間の制圧力でなら、シーアのそれにけして引けを取らないものと自負するこの技は、他のGに比べて防御力に劣るフライには圧倒的だった。弾幕にかかったフライ11匹を粉砕し、散弾を続けたまま翼を振るい、射角だけをずらして7匹を仕留め、彼らの出鼻を完全に挫いてやる。
 背後ではミシャの機関銃と刀剣が、弾幕の網を間一髪でかいくぐったフライを仕留めている。シーアとスタトナも、炎上する剣閃とスタトナの長槍と針のような翼を持って、フライたちを危なげもなく撃退していた。
 けど、あの巨大なGはまだそこに健在しているという懸念が、一刻も早くこのフライの大群を片付けなければという焦燥になって、首筋に嫌な汗を伝わせていく。弾幕だけではいずれ消耗してしまうと、私は獲物をバルデッシュに変えて、フライの首を切り落とし、返す刀でくるりと回り、別のフライを真っ二つに裂いた。
 でも、なのにフライの数は減らない。なぜ。こうして確実に仕留めているのに、どうして数が減らない。
「セーラさん!」
 そんな私の疑問を、ミシャが指摘した。
 彼女の驚愕する視線の先を見やれば、巨大トンボの腹からフライが次々と飛び出しているという信じがたい光景があった。
「あいつ……フライを、飼って、いるの…?」
 ないしはフライの巣でも体内に持っているとでも言うのか。なんて悪い冗談。あの巨大なトンボはフライたちの空中母艦染みた存在だったなんて。
 こいつは、フライたちの上に君臨している上位のGだとでも言うのか。
「このままじゃ埒が明きません! あの巨大Gを、先に仕留めます!」
 そしてミシャは飛び出した。M12機関銃で飛び寄るフライたちを牽制しながら、持ち前の加速力で一気に巨大トンボへと突き進んでいく。
「待ってミシャ! 相手の性質も分からないのに、無茶よ!!」
 私は慌てて後を追うけど、速さにおいて私の翼じゃミシャに敵わない。荒れ狂う旋風のような漆黒の翼を持つ彼女の飛翔速度は、シーアだって一歩置くほどなのだ。私に出来ることと言えば、彼女がフライの餌食にならないよう弾幕でフォローすることくらいだ。
 セーラとスタトナも事態を把握したらしい。スタトナを補助として、シーアもまた巨大Gへと炎を渦巻かせて突き進んでいく。
「ミシャ、戻れ! 軽率すぎる!!」
「あれだけの図体なんだから…!」
 シーアの声にも耳を貸さず、ミシャは機関銃で巨大トンボの赤い複眼を攻撃した。メードで威力を水増しされ戦車の装甲すら穿つ銃弾は、はたして巨大Gの複眼に傷ひとつ付けることができず、無力に砕けて塵となった。ギュンッと黒い疾風となったミシャは巨大Gの上を空かさず取り、瘴気によるものだろう緑と紫のグラデーションが禍々しい羽に、機関銃の弾丸を何十発と見舞う。
 けれどソレの羽はまるで傷つくことなく、優雅に空を撫でるように震えている。その震動が巻き起こす風圧だけで、気を張っていなければ動きを束縛されてしまいそうだった。
「飛翔型のGが、ヨロイモグラ級の物理耐性……を?」
 私は愕然とした。それとて冗談めいたことは、フライを見れば一目瞭然だ。彼らはどんな環境にも対応し常識を越えた飛行能力を得た代わりに、最も数が多いワモン級の防御力すらも下回る脆弱さを露呈してしまっているのだ。
 Gの防御力とは、生物でありながら鋼鉄の装甲などと比肩する物理的な堅牢さは元より、瘴気による物理的なダメージへの耐性をもって通常兵器を上回る性能を発揮しているとされる。メードがGに対抗できる唯一であるのは、その怪物染みた身体能力と手にした武器の性能を破格に強化することも勿論だが、何よりその瘴気の保護をコアエネルギーによって中和できるという点で、対G戦において通常兵器を置き去りにしていることに起因していた。
 そしてフライは、その大半を機動性に当ててしまっているため、瘴気による保護機能が殆ど働いていないのだ。もし〝命中させ、即死させるに足る急所への攻撃が可能〟であるのなら、ただの人間の小銃や刀剣でも充分に打破ができるだろう。それが完全なる飛行型Gの見解だった。
 なのに、こいつはその常識を軽く覆した―――――例えグレートウォール山脈の至る場所に敷き詰められた高射砲の集中砲火を浴びたとしても………こいつは悠々と空を飛び綴ることが出来るのではないだろうか。
「やっぱり桁外れだ…! でも、近接で直接コアエネルギーを叩き込めば…ッ!!」
 ミシャは予測していたのだろう。すぐさま機関銃を手放し、両手にサーベルを握って突撃した。
 彼女の真骨頂は格闘戦、それもその群を抜いた飛翔速度による一撃離脱の神速剣にある。彼女の剣は、加速とその翼の漆黒を纏ってどんなものも破断する必殺だった。
 そして弾丸より、砲弾より、握り詰めた刀剣の方がずっとずっとコアの恩恵を伝播することが出来る。それはコアのエネルギーを直接叩き込むのと同じで、ミシャの必殺剣の威力ならば、どんな瘴気の保護をも突破せしめるに足るだろう。
 けれど、私はその瞬間、ソレの赤い赤い複眼に――――――深い、煮えたぎる殺意を見た気がした。
「ッ?!」
 背筋にゾクリと悪寒が走る。
 ミシャを呼び止めようと手を伸ばす。間に合うわけがない。
 シーアが何か叫んだ。でもミシャはもう羽ばたいていた。
 スタトナがフライ2匹を槍で薙ぎ払って、こちらを振り向いたときに。
―――――――――ソレは、吼えた。


 爆風が、咆哮を上げて、ミシャを飲み込んだ―――――。


 巨大Gが何かをした。おそらく尻尾を振るったのか、それともその尻尾を〝開いた〟のかは分からない。
 でも巻き起こった現象だけは、馬鹿げた破壊だけがしっかりと目に焼き付いて、耳の奥を焼き焦がしていった。
 それはまるで、空中に突然発生した風速200キロのサイクロンのよう。あらゆるものを飲み込み、人も家も樹木もすべて薙ぎ払ってしまう大自然の暴力が、曇天をも消し飛ばしてそこに出現したのだ。
 ただしその爆風は指向性を持っていた。その大暴風は完全に意図されて生み出された破壊だった。それは、瘴気を帯びて振り下ろされた大旋風は、間違いなく巨大Gが放った一撃の威力だった。
 余波だけで、それがどれだけ凄まじいものだったのかが分かる。私やスタトナのみならず、周囲のフライたちすらその暴風に煽られてバランスを崩し、哀れにも風の渦に飲み込まれていったものまでいた。そのフライの末路は語るまでなく、木っ端微塵。
 ミシャを追い巨大Gの近くにいたシーアは、間髪の攻撃を翼を盾にして防いでいた。それでも遥か上空へ大きく退いてしまっているのは、殆どの推力を防御に宛がわなければならないほどの威力だったということだ。
 だったら。
 だったら、あれに飲み込まれてしまったミシャは――――――。
「ミシャ!!」
 スタトナの声がして、視線を走らせる。その先にはミシャがいた。
 案外近くにいた―――――吹き飛ばされていた。
 スタトナが落下するミシャを抱き止める、名前を何度も叫んでいる、何度も叫んでいるけど―――――けど。それは、もう。
「……あ、…」
 それはもう、ミシャという少女ではなかった。
 ミシャという少女だった、肉の塊でしかなかった。
 腹から下が喪失し、両腕が千切れ飛び、顔の半分が抉れてしまったそれはもう―――――あの小さなミシャじゃない。ジェフティとかまくらを作って遊んでいた、あのミシャであるはずがない。そんなわけがない、ミシャはそれじゃない。ミシャは、そんなわけがないそんなわけがないそんなわけがない!!!
「セーラ!!」
 かすかに、けれどシーアの必死な声がして、ハッと我に返ってバルディッシュを一閃する。肉薄していたフライの顔面を間髪の所で、叩き潰した。
 そうだ、まだGはいる。まだ残っている。アレのサイクロンで大半が死に絶えたらしいが、それでもまだまだまだ。
「…ャ!」
 でも、スタトナはまだ叫んでいた。そのミシャの顔だったものに向かって泣き叫んでいた。
 いつも不安に眉を顰めている子だった。背ばっかり高くて、オドオドしている子が感情を吐露にして叫んでいた。
「…ミシャ!……ミシャぁ……嫌だよ、もう、嫌だよぉ……! エレルも死んじゃった……ハプアも帰ってこないのに……嫌だ、死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ、嫌だよぉ…!」
「スタトナッ! 動いて、スタトナ!!」
 ダメだ、それじゃダメだ。ただ立ち止まってるだけなんてそんなの、そんなの。
 射角が悪い。それでも私の散弾を弾幕にして、間に合わせる。間に合わせてみせようと翼を全力で羽ばたかせる。
 シーアは遥か上空で、あの巨大Gがまた新たに放ったフライたちを、焦るようにその大きな炎で焼き払っている。こちらへと手を伸ばそうとしている。
 それなのに。
 私の翼は、シーアの翼は―――――スタトナに届かなかった。

「…ぁ」

 スタトナの胸から長い爪が突き出ていた。それはあっという間にスタトナの胸を腹まで切り裂き、心臓をブチブチと引きちぎっていって――――――――そんなどうしようもない所で、私の翼はそのフライの醜悪な顔を粉砕したのだ。
「ッ、スタトナ!」
 すぐに彼女を抱き留めて、弾幕で周辺のフライを一掃する。彼女を抱き留めた右手が何か熱いものに塗れていく。ボタボタと何か大切なものがスタトナからこぼれ落ちていくのが分かっているのに、私は。
「……セー、ラ…」
 スタトナの目が私を見上げる。やっぱり彼女はとても不安そうで、とてもか弱そくて―――――…それでもミシャの亡骸だけは懸命に手放してはいなくて。
「ミシャ……しゃべ、らな、い……んだ……いき、して、な…い…んだ…」
 喋ると同時にゴボッと彼女の口から赤い血が噴き出た。彼女の白い髪がグスグスに染まっていく。彼女の灰色の6枚の翼が、どんどん色を失って消えていく。
「しっかり……しっかりして、スタトナ…!」
 そんな彼女に私は、私はただ呼びかけることしかできない。ただ無力に声をかけることしかできない。
 虚ろな瞳で、不安に唇を振るわせている彼女を安心させてあげることもできない。
 私は、何も。
「…………わた、し……みん、なと……ま、だ……」
 スタトナの頬を涙が伝う。ミシャだったものを抱き留めたまま、血を吐きだして。
 その声も消えていって。
「…………死にたく……ないよぉ……」
 それが、スタトナの最期の声だった。
 
―――――――――――――――――――――――――なのに。私は、何も出来なかった。


「ああ……あ、ああぁ……!!」 
 スタトナとミシャを両手で抱き留めて、ただ悲しみに任せて翼を振るう。バルディッシュが空から落ちて、馬鹿なフライがそれに食らいついた。奴らの貪食には金属だって何だってお構いなしだ。
 だったら喰らわせてやる、ありったけ見舞ってやる!
「ああああああ!!!」
 白い弾丸を殺意に塗り染めて、鬱陶しく周りを飛ぶフライたちを叩き落としていく。
 でもいま欲しいのはこんな弾じゃない。こんな無力な翼ではない。
 二人を救える奇跡が欲しかった。なのに私にはそれがない。いや、そもそも私にはそれが出来たはずなのに。
 あのときスタトナの背後に迫ったGを事前に撃ち落としていれば。シーアのように理性を保っていられれば。ミシャを私が止めていれば、こんなことにはならなかった。こんな手遅れにはならなかったのに!!
 振るう振るう、破壊の弾丸をありったけフライを浴びせる。次はアレだ、あの我が物顔で君臨しているデカ物を蜂の巣にする。私の白い蝶は一片だってお前を許さない、私は一片だって自分が許せない!!
「セーラッ!」
「――ッ?!」
 気がつけばシーアが隣にいた。そして私が抱き留めているスタトナとミシャをその青い瞳で見やり、シーアは少しだけ目を伏せる。
「……また、間に合わなかった…」
 短く、シーアは呟いた。そして剣を振るい、上下左右から襲いかかってきたフライ6匹を一瞬で灰燼にする。
 その赤い瞬きが、いつもよりも強く強く揺らいでいる気がした。
「セーラ。二人を連れて、すぐに離脱してくれ。アレは――――私ひとりで仕留める」
 そして放たれた彼女の言葉に、私の沸きだっていた血が一瞬で凍て付く。
「ッ…そんな…! 無茶よ…だって…あんなの、一人だなんて…!」
 冷静を取り戻してみれば、アレはこれまでのGとは比較にならない怪物だった。今はまだ子飼いのフライたちに任せているのか静観を決め込んでいるが、アレがいざ本気となれば先ほどの暴風が容赦なく襲いかかってくることになる。
 そしてあの防御力。とてもメード一人で打倒できる脅威ではないことは明白なのに。
「―――――セーラ」
 振り返った幼さの残る少女は、とても凛としていた。毅然としたその横顔に、それでも私は頷けない。頷けるわけがない。
「いやよ…! 貴方まで、シーアまでいなくなったら……私は、一体どうしたらいいのよ! 絶対に嫌よ!!」
 私は泣くことしかできなかった。さっきのスタトナみたいに頑なになるしかなかった。
 だって無理だ。どうしたって無理に決まっている。あんな化け物相手にシーア一人残していくなんて、そんなの――――見殺しにするのと一緒じゃないか!!
「……セーラ」
 でも、それでも彼女は笑った。歪で、その裏にどれほどの葛藤があるのか計り知れなかったけど――――どれだけ心を痛めているのかだけは分かっていたから。
「ミシャとスタトナを、ちゃんと私たちの家に連れて帰ってくれ。お願いだ…セーラ」
 その小さな少女の、今にも泣き出しそうな笑顔に首を横に振れるほど、私の理性は喪失していなかったから。
「――――――…シーア」
 私は、曇天の戦場に背を向けた。
「絶対、生きて帰ってきて。必ずよ」
「……ああ。やるべきことが、あまりに残りすぎているからな」
 お互いに振り返らず、背中合わせのままに飛翔する。
 私は二人を連れて退却し、シーアはフライと巨大Gの群れへと突貫した。
 背後で爆音と赤い閃光が奔っているのが分かる。それでも全速力で、ありったけの力で私は飛翔した。早く早く早く、二人を連れて私は飛び去っていく。
「………」
 曇天の空の下、それでも私は一度だけ振り返ってしまった。
 そして見た。赤い翼を、槍を携えた炎の悪魔が巻き起こす天に咲いた災禍を。それを従えて真紅の軌跡を描く帚星を。
―――――レッド・バロン。
 後にそう呼ばれるシーアの異名を、私は誰よりも早く、その目で垣間見る。
 けれどその赤い揺らぎは、その炎はまるで嘆きに涙しているかのように、悲しく瞬いていたのだ――――。


 …

 
 ミシャとスタトナの亡骸はコアを摘出された後、出来うる限りの死に化粧を施して、手厚く葬られた。
 場所はカラヤ様の屋敷の裏庭に。エレルと同じ場所に埋葬された。
 その黒い墓標の前に、私とシーアは立っている。葬儀が終わってみんなが立ち去った後も、私たちは立ち尽くしていたままだった。みんな気を使って、声をかけることなく去っていってくれたのが有り難い。
 いま、声をかけられたら私はきっと、泣いてしまっただろうから。
「………こうして、葬儀ができるだけ、私たちは報われているのかもしれないわね」
「……かもしれないな」
 シーアが肯定する。各国のメードの扱いは様々だし、人間に兵士にしても、状況によってはまるでままならない人はいるだろう。死体が家族の元に帰ってこないことも珍しくはないのだ。
 だから彼女には感謝しなければいけない。二人を、二人の亡骸をちゃんとカラヤ様たちの元に帰してあげられたのが、唯一の救いだったから。あのまま空中で戦っていたら、もし感情に任せて理性を欠いて、二人を手放してしまったら―――――私はきっと、本当に生きてはいけなかっただろうから。
「………私は、守れなかった。助けてあげられなかった」
「………」
「あの位置でどうにかできるのは、私しか、いなかったのに……」
「セーラの責任だけではないさ…」
 シーアが呟く。あの後、私たちが遭遇し、シーアが打倒した巨大Gは〝ドラゴン・フライ〟と呼称された。
 そう、シーアはあのGを一人で打破せしめたのだ。どれだけの時間がかかったのかは知れないが、あんな怪物を、仇討ちをたった一人で完遂したのである。
 だから思わずにはいられない。もし私ではなく、シーアがあの場にいたのならこんなことにはならなかったのではないかと。彼女なら二人を救えたのではないかと。そんなもしもが浮かんでは消えて、意識の底に泥のように沈殿していく。
「……シーアは、強いわ。私なんかより、ずっと。今だって、凛としている……私は、ダメね…」
 今にも泣き崩れてしまいそうなのを、必死で堪えることしかできないのだから。スカートの下では足が震えて、立っているのがやっとなのだ。
 でもシーアは違う。こんなに小さいのに、幼いのに、凛然たる態度でそこにいる。強い意志を持って、彼女たちの墓標を見据えている。
 私は、刻まれた彼女たちの名前を見るだけで、こんなにも胸が苦しくて息が出来ないのに。なのに。
「そう買いかぶらないでくれ、セーラ……私だって、必死なんだ」
 シーアは、困ったような顔をして口元を歪めた。
 そうして自分の掌を私の視界に収めてくる。
 シーアの小さな手は、カタカタと震えていた。怒りと悲しみの真っ只中で犯されていたのだ。
「……ほら。私の手は、こんなに小さい。まだ、見てくれ通りの大きさしかないんだ。誰も……エレルも、ミシャも、スタトナも……まだ、ただの一人も守ることができないほど、小さな手でしかないんだ。私の翼なんて、まだその程度の器でしかないんだ…」
 そんなことはない、なんてことは言えない。事実として、私もシーア、誰一人として守れていないのだ。
 大切な仲間も家族も、誰一人として。
 必ず生きて帰れ、一人も欠けることなく―――――そんなカラヤ様の約束を、私たちはまったく守れてはいないのだ。
「セーラ。君もまた、いまはそれだけの器でしかない。たったそれだけのことができない手しか、翼しか持っていないんだ……いまの私たちは」
 だからこそと、シーアは震える手を、力一杯握り締めた。呼応して彼女の背に赤い翼が広がる。まるで燃え盛る炎のような、赤い輝きを纏った翼を従えて彼女は、
「だから、私たちは進もう。彼女たちの分まで、エレルとミシャとスタトナに誓って。誰かを救える翼で成れるその日まで――――ハプアがいつ帰ってきても恥ずかしくないように、飛び続けよう。このルフトバッフェで」
 契約したのだ。彼女たちの墓前で。
「……うん。誓おう」
 それに習えなければ、私は本当に生きる意義を失うと思う。
 いや、これは必定。私はそうでなければならない。そうでなければ私はルフトバッフェのセーラであり得ない。
「この翼で、誰かを守れる奇跡を叶えるよう。必ず」
 私たちは固く固く誓ったのだ。
 スタトナの描いた絵のような理想を、あの夢を、必ず守り通してみせるって―――――。



――――――そして。
「……うーん、あかん。完全に迷っちゃたッスよ……」
 ふと、そんな声がした方を見やった。ミシャとスタトナの葬儀から7ヵ月が経ち、久方の休暇を何の因果かシーアと、裏庭で過ごしているときである。
 なぜそんなところにいたかと言えば、まぁ定期報告というものだ。新しくルフトバッフェにやってきたディートという空戦メードがスタトナと同じく長槍の名手だったとか、ホルンが私と同じ白い翼だったとか、あのジェフティにどうやら好きな人が出来たみたいなんだよとか、そんなたわいのない報告をしていたのであるが。
 見やった視線の先には、バツが悪そうにしている黒髪の女性がいた。
「………ハプア…」
 思わず、そう呟いてしまった。
「へ…? ハプ……ア? や、ウチはミテアって言うんスけど…」
 彼女、ミテアが目をきょとんとして頬を掻いた。
「あ…」
 そうだ、彼女はハプアではない。まるで似てもにつかない別人だ。容姿も口調も声も何もかもが違い過ぎるではないか。
 けれど、それでも似ていたのだ。雰囲気が、あの包容力に溢れていてどこか抜けていて、それでも憎めなかったハプアと彼女の空気は、懐かしいほどに一緒だったのだ。
「………ごめんなさいね。ちょっと知り合いに似ていたものだから……新人さんかしら?」
「はい、今日からルフトバッフェに厄介になることになりました。よろしくお願いするッス」
 ぺこりと頭を下げてくるミテアに、私も合わせて会釈する。年の頃は私よりも少しした程度の、大人の女性だ。少し口調に訛りがあるのが気になるけど、それが愛嬌になっているのがまた憎めない。
「フッ。ディートに続いて、また愛らしいレディが増えて私も嬉しい限りだよ。まったく紳士冥利に尽きる」
「なんやこのちっこいの。可愛いッスなぁ」
 と、何も知らないミテアさんはなでなでとシーアの頭を撫でた。シーアはとってもご満悦のようである。何も知らないとはまったくもって恐ろしいことだ。
「ハハ、そうだな。ではその可愛さに免じて、どんかな、二人で大人の階段について語らおうじゃないか」
「アハハ、可愛いくせにおませさんッスねー。このーっ」
 ピンッとミテアがシーアにデコピンを当てた―――――が、その音はピンッではなく、何故か45口径マグナムのような轟音であり。
 次瞬に、シーアは思いっきり吹き飛んでいた。軽く15mくらい。
「…………」
 私はちょっと絶句するしかない。
「あ、あっちゃー! しもーた! またやってしまったッスよ! だ、大丈夫ッスか?!」
 ミテアが慌てた様子でシーアに駆け寄る。
「ハハハ、かなり驚いたが無事だよ。あと痛いけど無事だ。うん大丈夫、だ。……ところで君は誰だったかな?」
 ちょっとここ1分の記憶を失って、シーアは笑って立ち上がった。どうもミテアというメードのデコピンはおぞましい威力であるらしい。ハプアも随分と怪力の持ち主だったが、さすがにデコピンでメードを吹き飛ばして、記憶喪失させるほどではなかったように思う。
 あの人に殴られるような事態は、全力で遠慮するとしよう。
「――――――しかし……でかい」
 私は呻いた。ミテアが動く度に、彼女の胸が揺れているのが目に焼き付いて仕方ない。
 ええ、ええ分かってます。分かってますよ三人とも。こんな墓前でさすがにあの時のような醜態はさらしませんとも。
 そう思わず心の中で言い訳をしてみたら、あの時の風呂場での大乱闘を思い出してしまって、不自然にも噴き出してしまう。
 ミテアとシーアが不思議そうにしているのを繕いながら、私はちらりと墓標を見やった。
 心なしか、その黒い墓石が優しい空気に包まれているような気がして。
「……そうね。そして、今度こそ必ず……」
 あの思い出のような日々を、護り通してみせると―――――私は改めて誓うのだった。



  ◆◆◆


 
―――――1945年。ルフトバッフェは発足した頃とは比べものにならないほど、大規模な組織に変貌していた。
 独立軍としての機能は勿論、所属する空戦メードの数も数十を超えるほどだ。最初は4人だけの組織だったのが、まるで嘘のようである。
 本部もカラヤ様の屋敷から、4年前にベオングラドの隅に新設された基地へと移った。おかけで足を悪くしているカラヤ様とは離れて暮らすことになったが、なに、同じ街なのだから会おうと思えばいつだって会いに行ける。思い思いの理由でルフトバッフェから独立していったアリシアやディートにだってだ。それこそ、翼で飛ぶが如く、なのだから。
 そして、今年もまた新たな仲間がルフトバッフェの門を潜った。
「ようこそ、ルフトバッフェへ。私は第2戦闘中隊隊長のセーラです。そして…」
「青の部隊〝戦闘隊〟のトリアです。よろしくお願いします」
 そうしてトリアと一緒に新人達に頭を下げる。新人達がも慌てて頭を下げてきた。トリアはとても出来た子なので、目下だろうと構いなしに礼儀を払うだけのことなのだけど―――――先に先輩に頭を下げさせてしまって、やばい、やってしまった、とか狼狽している様が、実に初々しくて微笑ましい。
「今日は……教員担当のララスン様がちょっと所用で手が離せないので、私たちが代わりに務めることになりました。よろしく」
 ハッと敬礼してくる新人達に、トリアと一緒に苦笑する。だってこんなの、ここじゃ思いっきり珍しい光景だったから。うーん、これはカラヤ様が何か妙な入れ知恵でもしてきただろうか―――――というのも、ルフトバッフェに配属される前に、ベーエルデー・メードは必ずカラヤ様の屋敷で一晩を過ごすことが通過儀礼になっているのだが、この子たちはどーも何か変な前情報を吹き込まれてここに来たらしい。
 まぁ確かにルフトバッフェは軍隊である。どうしようもなく軍隊であるし、例え世の中からメードをアイドルと勘違いしているかのような月刊誌を喜々と発刊している色物と思われていようと、尻やらセクハラやらで毎回エース級の空戦メードが他国のメードと問題を起こしていたとしても、軍人的な規則も命令の制約なんて二の次二の次と平然と言いのけるような連中ばかりだとしても、とりあえず軍隊である。あとどうでもいいけど、その月刊誌の帯の宣伝に某帝国の皇帝がコメントしてたりするのは、割りと知られているんだかいないんだかなのだけど。
 まぁここの空気を一般的な軍隊だと思うのが、既に間違っていると気付くのははたして3日後か今日の夜か……それとも。

――――――――――――――――――爆音が轟いて、地響きがなった。

 新人達が驚いてどよめき、トリアがしょうがないなぁもう、といった笑顔を浮かべている。私も半ば予想は付いているのだが、見やればホラやっぱりご覧の通りの有様である。
 基地の一角から立ち上がる粉塵から、猛然と巨大な黒竜が姿を表し、その視線の先には血のように赤い翼を持った空戦メードが、楼蘭刀を両手に持って黒竜と―――――正確に言えば、その黒竜の足下にいる獅子の亜人の少女と対峙している。ああ、そういえば今週のシフト表はそんな感じだったなーとか思い起こす。いや、ララスン様……もしかして確信犯っでシフト組んでませんか?と今度問いただしてみようと思う。
「駄猫が。今日という今日は貴様が空も飛べんクズだとはっきり分からせてやる」
「へへーんだ! 今日も変なパンツ履いてるスニムバに言われたくないよなー。なーワァーター」
「オワタ」
 駄猫呼ばわりされた異端のベーエルデー・メード、カルドラの意見に、近くに浮いてる羊の亜人ワァータが頷いて、手のような形の翼を大きく万歳した。無表情だが、なんだか物凄く楽しそうである。
「おわたーおわたー!」
 そして猫なカルドラも真似して万歳しながら連呼する。対して楼蘭刀の空戦メード、スニムバは、思いっきり殺意をあらわにしていた。心の弱いものならその気迫と視線だけで多分心臓麻痺してしまうかのような眼力である。
 ああ、どうでもいいけどあの「オワタ」って、なんかスニムバの下着の趣味を否定しているようにも聞こえるわね。
「そうか。貴様もそっちの味方か…ワァータが」
「スニムバ様! 私はスニムバ様の味方ですから!! あとパンチラごちそうさまでした!」
「………」
 ピンク髪に狐耳の空戦メードにして、スニムバの忠実なる副官であるマグダレーナの言葉に、ちょっと殺意が萎えたらしい。赤い翼がしおしおと少し衰えたような気がする。たぶんマグダレーナさんに悪気はなかったんだと思う。つい口から飛び出てしまっただけなんだと思う。彼女も不器用な人だから。
「もう、喧嘩はやめてください! 喧嘩はダメです、仲良くしてくだち……ッ~っ~っ!」
 そして黒い翼のメード、チューリップが仲裁に入って―――――盛大に舌を噛んだらしい。幼い外見に似付かわしい舌っ足らずさが彼女の弱点であり、最大のチャームポイントであるのだが、あれはちょっと本人からしたら相当厳しいものがあるだろうなと私は思うわけで。
「邪魔をするなよ、これは訓練だ。……さぁ。今日こそ駄猫に猫としての在り方を存分に調教してやる」
「そーだぞーチュリ公ぉ。ここで止めるなんて、不完全燃焼でぜんぜん面白くないぞー」
「ワァータ…スニムバ様に逆らうってなら、その毛刈り取ってセーターにでもしてやろうか」
「オワタ」
 一触即発、絶体絶命。主に基地の修繕費と管理しているララスンさんの胃的な意味で。
「――――――分かりました。それなら…こっちだって」
 しかし、チューリップは退かない。諦めない。ジャキッと彼女専用の突き刀のような形状をした斧を両手に携え、その黒翼に嵐のような旋風を迸らせた。あまりの烈風に光と空間が破断して景色が歪むくらいのエネルギーが、チューリップの翼に吹き荒れていく。
「し、シエナダルシュ?! ちょ、まてチュリ公! それはもっと拙い事態にならないと思わないかにゃー?!」
「大丈夫です。三歩手前でいきますから。それにこれ、訓練、なんでしゅよね」
「フン、いいだろう。貴様の漆黒と私の深紅、どっちか上か興味があったところだ」
「す、スニムバ様……素敵です」
「オワタ」
 チューリップ、貴方止めに入ったんじゃなかったの?と思わず訊ねてみたくなるが。いや彼女もそろそろ染まってきたと言うことだろうか。何に、とは言わないけど。
「あー……ちなみにあの子がチューリップね。ウチで有名な三大メードの一人だから」
 一応説明しておくが、新人たちはもう呆気に取られていてぐぅの音もでない様子だったので、私はそれはそうだろうなと視線を戻した。事態は余計にややこしくなっていて、ちょっと聞こえにくいけどどうやらララスン様が必死に止めようと叫んでいるらしい。
「じや、じゃあ、私も止めにいってきますね」
「うん。健闘を祈るわ」
 そうしてトリアが翼を開いて、なんだか漆黒三連星も加わって大騒ぎになり始めている片隅へと、風のように飛翔していった。
 その翼の色は、鴇色の四翼。ルフトバッフェの誰よりも気遣いに長けた、しっかり者の翼。
 そしてチューリップの風を纏った黒い翼。誰よりも速く飛べる、漆黒の翼。
「………」
―――――エターナル・コアは、持ち主の死と同時に一時的にその力を失うという。けれど一定の休眠期を経て、エターナル・コアは再び喪失した力を取り戻すのだ。翼は、また再び蘇る。違う誰かの翼となって、受け継がれていくのだ。
 その翼が、その色が、きっと彼女たちとの絆の証であるのなら。
「………大丈夫。あれから、私たちは誰も失っていないから…」
 ぽつり呟いて、私はパンッと手を叩いた。大道芸まっしぐらな様子を食い入るように見やっていた新人達が、驚いたようなこちらを振り仰ぐ。
「………とまぁ、こう毎日が破天荒な組織ではあるのですが」
 私は新人達を振り返り、微笑む。
 屈託なく、最期の最期までそこには確かな救いがあったと信じて、笑って。
「改めてようこそ、ルフトバッフェへ。今日からここが貴方達の家となります。そしてカラヤ様からもう言われたかもしれないけど、ここにはここの流儀があります。これだけは守れっていう、鉄則が」
 鉄則という私の言葉に、ぽかんとしていた彼らの顔が一転して真剣なものになる。
 うん、これは真に受けてもらわなければならない。それが、私たちの願いなのだから。
 だから私は断言する。
 私たちがそう言われたように、強い意思と絆を込めて。

 「絶対に死ぬな! 以上!」



 





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