この仕事に就いたとき、己は死神になるのだと自覚した。 ただ殺めるだけの、刈り取るだけの存在になるのだと。 それが、果たして誤りであったことに気付くのは、それから半年後のことである。 ◆ 1939年×月。 6年ほど前に〝G〟という巨大生物と人類の闘争は幕を開けた。 Gという未曾有の天敵を前に、人間が築き上げてきた武器・兵器はことごとく打破されるも、人類は〝メード〟という人間の姿をした生体兵器を投入することによって、何とかGの侵攻を食い止めることに成功した。 そして今、それまで啀み合っていた世界は、一丸となってGとの一進一退の攻防を繰り広げている。 メードの力は絶大だ。その力は、等身大の人間が繰り出す威力とは思えないほどであり、これまでの通常兵器が霞むほどである。しかし、そんなGへの切り札であるメードの配備を各国は性急に進めているが、その核となるエターナルコアの絶対数が不足しているために、メードの増員はGの攻勢に対して非常に緩慢と言わざるを得ない。 であるのだから、結局はメードのみならず、各国の軍隊も一丸となって、Gに立ち向かうしかないのが現状である。されど、おかげで今まで覇権を争ってきた世界が手と手を取り合うことになったのだから、皮肉と言って差し支えがないのも事実だ。 ――――そんな世界で。自分に与えられた仕事は、そのメードの材料を調達することであった。 材料といっても、エターナルコアなどという希少鉱物の発掘ではない。 そのコアを埋め込む生態――――つまり、人間、である。 メードの素材は生きた人間である、という事実は公にはされていない。道徳上の理由などから、一部の人間しか知り得ない事である。 若く、健康で、有能な――――少女。それが最もメードになるに相応しいとされる素体である。 そしてある程度の投薬による調整を施され、エターナルコアを埋め込まれた人間が、メードという兵器として生まれ変わる。その代価は圧倒的な力。そしてその代償に、メードなった少女は今までの記憶を失うのだ。 記憶、といってもそれはエピソード記憶、つまり個人の思い出や体験を司る記憶が失われるだけのことだ。その人間が今まで培ってきた一般常識や知識などを司る意味記憶は失われることは殆どないので、メードとして新生した〝元〟人間が赤児にまで退行するわけではない――――もしそうであったなら、メードの実戦配備など到底間に合うものではないのだから。 生前に有能であったことが求められるのは、大方この事が要因だ。優れた武術の使い手なら、その培ってきた体技は失われることなく、メードとなればその妙技は常識外れの絶技へと変貌するだろうし、思考力や知性に長けた者であるなら、その判断力や活力をもってメードという絶大な力を発揮させるのだ。 「………」 そして蛇足として、メードになる以前のエピソード記憶も、完全に失われているわけではないらしい。中には生前のトラウマをそのまま残してしまっているメードもいるらしいのだ。つまりは、ただその頭の中の〝残像〟が、自分のものであったと再認できなくなっただけなのだろう。 だからなるべく、若く…従順で、健康で…頑丈で、有能で…強力なメードとなる素材を見繕わなければならない。 それが、ベーエルデー連邦議会から言い渡された、自分の仕事であった。 ベーエルデー連邦というクロッセル連合王国に属する国もまた、独自にエターナルコアの発掘に成功したらしい。それを埋め込むに相応しい人間を探してこいということだった。 「………つまり、まぁ」 早い話が、死んでいい、いなくなっても構わない、有能な少女を探してこいというのである。 記憶を失うとはそういうことだろう。今までの思い出がリセットされる、ないしはそれを自分のものだと理解できなくなるくらい生物として変質してしまうのだ。それはもう、死んだ、といっても過言ではない。 そうなると、やはり自分は〝死神〟なのである。 「………ハ、今更。何を」 といっても、ベーエルデー連邦という国は16の州が散々啀み合って、G―――というより、さる女傑が率いる傭兵軍団が暴れ回っていたところを泣きっ面に蜂にされたおかげで、やっと統合されたような国だ。そんな国に生きていた自分は、とっくの昔に死神として生きていたように思える。 自分がこの仕事を任されたのも、そうした理由だ。依頼主の条件に添った人間を見繕う人事事が得意なだけ。長所はどこにでもいるこの容姿のおかげで、人に記憶されにくいこと。おかげさまで自分の仕事は足がつかないことに定評がある。 そんな理由で、私は死神に抜擢されたのだ。 「―――ここにするか」 そして自分は、とある村を訪れた。良くも悪くも平凡な村。裕福でもないが、貧困というには恵まれすぎている場所。地図から消えたところで、大抵の人間は気付かないような村だった。 そして、ここには孤児院がある。まずは定石として、そこを目指した。 戦災によって親を無くした子供達は、メードになるには適した境遇の人間である。いなくなっても大して困らない、誰も気付かない孤児達を、大概の各国が先ずメードとして作り替えたと聞く。健康な少女であれば良し、亜人のような肉体的に秀でている者なら、メードとなればその屈強さをより怪物染みた域へと変貌させることだろう。 「………単に、大小の問題でしかないのかも知れないがな…」 だが孤児とて家族や仲間、友人がいる。その孤児院の連中がまずそうなるだろうし、近隣の住民にだって親しくしている人間はいるかもしれないのだ。 その関係を奪い、その思い出さえも、自分は刈り取ろうとしている。 「……なにを戸惑っているのだか」 自分は人でなしの死神。それにこれは、メードという世界の〝剣〟となる素材を見繕う仕事なのだと、自身を騙して歩を進める。 そうして、とある家の前に座っていた少女と目があった。 綺麗な金髪に、サファイアのような瞳を持つ女の子。齢は十といったところだろうが、整った顔立ちは、幼いながらも異性として十分な魅力を持った子であった。静謐とした表情と少し着飾った衣装に身を包んでいるので、見た目よりずっと大人びた雰囲気がある。 反射的に自分は「……ダメだな」と小声で呟いた。この少女はあまりに人目につきすぎる。こんな子を死神の鎌に掛けることは出来ない。何より、メードとなってしまったらその成長はそこで永遠に止まってしまうのだ。十の齢でこの容姿なら、もう数年もすればどれほどの美貌になるのか。その可能性を潰したくないという、低俗な思いも正直あったのだ。 自分はすぐに孤児院へ向かおうとした。けれど、彼女が口を開く方が僅かばかり早かった。 それは、あまり聞きたくない言葉だった。 「……今日のお客様ですか?」 … 自分はその場を立ち去って、孤児院へと向かったが、残念ながら収穫はなかった。 どの子も非凡で、孤児というにはあまりに幸福そうに見えた。あの中の一人の首に鎌を掛けることなど、自分には出来かった―――――否、そんな生温い善意などでは断じてないのだ。 ただあの昼間に出逢った少女のことが気になって、仕事に集中できなかった。それだけのことだ。 それからの私は、どうにかしていたと思う。 気がつけば、少女のことを調べていた。 そして少女の事柄がひとつひとつ分かっていくうちに、知りたくなかった後悔と知ってしまった怒りに、肺に水を流し込まれたかのようにに胸が詰まった。 家族は、あの少女と、その母親の二人。 家は金銭に困らないほどの暮らし。ただし母親が働いている形跡は無い。 あの家に、一日に複数の男性の出入りを確認した。 あの家に、一度に数人の集団の出入りを確認した。 「……今日のお客様ですか?」――――あの言葉に、嫌な予感はしていたのだ。けれど最後まで信じたくはなかった。 あの子は確かに綺麗だった。美しかった。凛として、華やかで、異性を虜にしてしまうものがあった。 けどそれは、彼女の将来を、その輝かしい未来の姿を夢想したからであって――――…。 母親と出入りしている男達との間で、金銭取引を確認。商品不明。 母親と少女の中はけして険悪ではない。ただし親密でもない。家族的な団欒がまったく見られない。 少女の言葉に母顔の反応は冷たい。少女の方も、何も期待していない様子。 時々、母親の怒鳴り声がする。皿の割れる音。 近隣住民があの一家に干渉する気配は、皆無。 孤児院の子供達との関わりも一切無い。孤児達は少女と仲良くできないことに不満げだった。 住民の中に、彼女の家へ出入りしているものがいる。 母親と村人の間に金銭による密約を確認。すべては村ぐるみで黙認されていた。 「……今日のお客様ですか?」――――あの言葉が耳に何度も響く。 少女が玄関口で、男達に言う言葉がずっと脳裏に反芻して離れない。 愛らしい声で訊ねるその言葉の意味を、自分はずっと否定し続けて――――けれど調査の内容がすべてを決定づけて。 だってあの子は、まだ。 最後に、私はあの家に訪れた。 何度も頭の中で繰り返された少女の質問に頷き、家の中へと足を踏み入れる。 母親が歓迎するような、少女とは似ても似つかぬ下賤な笑顔で訊ねてきた。 「初顔だね。口までならユニロで5、最後までなら12だよ」 ―――――少女は、売春させられていた。 … 幾度と情事が行われていただろう部屋に、少女と二人っきりになる。 自分はベッドに腰掛けたが、今までここでどれほど陰惨な行為が行われていたのかと想像するだけで、胸焼けがする思いだった。 「……如何なさいますか?」 しばらくして、少女が問いかけてきた。本来ならこちら側が勝手に事を進めるのだろうが、自分が一向に手を出そうとしないので口を開いたのだろう。 「いや、自分は、君と会話がしたいだけだ。そこに座っていてくれるだけでいい」 「………」 少女は怪訝な顔ひとつせず、向かい合わせになるよう椅子に腰掛けた。 その一連の動作すべてが洗練されていて、思わず見惚れてしまう。 「まるでどこかの貴族か王族のようだ。そうした作法は誰から?」 「独学です。こうした事は、覚えておいた方が色々と活用できると思いましたから」 「本当に驚きだ。君のような幼い子がね……言葉遣いも流暢すぎる。それも独学か?」 「はい。語学は一通り。お客様の中には、外国の方もおられますから……」 本当に凛とした子だ。娼婦として着飾った衣装のせいもあってか、本当にどこかの貴族のご令嬢と対峙しているかのような錯覚を覚える。それだけに――――本当に惜しいと思えた。 「聡明なんだね、君は………それだけに、酷なことを訊ねる。君は、この現状をどう感じているんだ?」 言って、あまりに慮外な質問だと自身を恥じた。彼女は言葉遣いや仕草こそ大人びているが、実際には全くの子供だというのに。 けれど彼女は動じることもなく、ただ静かに目を伏せるだけだった。 「多少の不満はあります。けれど、少なくとも彼女という親の元に生まれてしまった以上、私にはこうして生き伸びるしか選択肢がありませんでした。私がいなくなれば、働き口のない母も生活に困るでしょう。どんなに人道に外れた人であったにせよ、私の唯一の肉親であり、家族なのです。見捨てて逃げることはできません。そして、逃げたところで、こんな幼い自分が親の庇護を失って生きるのは、とても難しいことでしょうから」 とても、齢十ほどの子供が述べる言葉とは思えないほど、彼女は落ち着いた様子で言い通した。 本当にこの子は、娼婦などにしておくには惜しい逸材なのだと確信する。同時に、こんな子を娼婦などという安易な商売道具に仕立て上げたあの母顔への怒りが、腹の奥底で煮えくりかえった。今すぐにでもあの卑しい顔を打ちのめし、銃口を口に突っ込んで引き金を引いてしまいたい衝動に駆られてしまう。 だが、この少女は、はたしてそんな当然の殺意に駆られたことはなかったのだろうか。 「………自分には、君はとても優秀な人間に思える。君はやろうと思えば、あの親などなくても十分に生きていけると思う。現に君は、大人顔負けなほどに賢い子だ。――――だからこそ、君はあの母親を見捨てて然るべきだと思う。それだけの才知があって、そうしない理由が自分には分からない。例えば…」 そうして、自分は更に恥知らずな事を彼女に試した。 彼女の足下に、自らの拳銃と予備のマガジンを置いたのだ。 「それで母親を撃ち殺すことも出来るだろう。君の思考力があれば、村人の何人かに復讐することも出来る。場合によっては、君を黙殺していたこの村の人間すべてに復讐するくらい―――…君の知性なら、その位はやってのけると自分は確信しているのだが」 自分のそのあまりに凄惨な問いかけにも、幼い彼女はちゃんと理解した上で、屈託なく笑ってみせてきた。 「それでも、母は母です。確かに初めの頃は、すべてが恐ろしくて、痛くて、悲しかった。それが怒りと憎しみに変わって、人を呪ったこともありました。けれど、だからといってその私怨を暴力で訴えるのは間違っていると思います。確かに―――…私は、この村の人間全員を殺害する手段を講じて、実行することも出来てしまうのだと思います。でも、それはただの八つ当たりでしょう。私怨で、無関係の人間さえ巻き込みかねません。それこそ、軽蔑されるべき俗物的な行為だと思います―――――…でも、そうですね。多分私はもう、諦めてしまっているのだと思います。この状況を変えることにも、人間に期待することも、すべて。だからこんな状況も甘んじて受け入れられている。そんな詰まらない子供なのです、私は」 「………自分には、君が絶望した人間にはとても見えない」 だって彼女は、教養を独りで積み重ねているのだ。絶望した人間にそんなものは必要ない。絶望に負けた人間は精神を病んで、狂って破壊衝動に身を任せるか、殻の中に閉じこもるものだ。けれど少女はそんな八つ当たりもせず、こうして自分という赤の他人と凛と向かって対話している。自分の考えをハッキリと口に出来ている。 不幸な境遇の人間など、この世界には星の数ほどいる。絶望した人間などごまんと見てきた。だからこそ言える。少女はこの境遇にあっても、その心はずっと高潔なままなのだと。 そんな自分の思いを悟ったのか、少女は困ったように微笑んだ。 「それは、私がとっくの昔に壊れているからなのでしょう。だって、私はすべてが年相応ではないのですから」 少女の笑顔は、本当に可憐で儚くて。そして、あまりに潔白すぎて。 だから私は再認した。 不幸な境遇の人間など幾らでもいる。同情に値する子供など、意識してしまえば無尽蔵に増えていくのが人の世だ。 その中にあって、何故私が少女を気に掛けたのか。 それは、けして同情ではない。ましてやここを訪れる外道どものような色欲などでもけしてない。 ただ人事だけが取り柄の男が少女に見惚れた理由は、ただひとつ。 「ああ、不相応なんだ。今の君は、何もかも」 自分は呟いて、拳銃を拾い上げ、少女の額に押し当てた。 「………私を殺すのですか?」 「そうだ。怖くはないのか?」 少女は微動だにせず、ジッと私の目を見据えて言う。 「情事の最中に、殺されそうになったこともあります。この体です。殆どがすべて死ぬ思いだったからなのかもしれません」 その言葉に自分は知らず、奥歯を噛みしめていた。 こんな当然の殺意を、憎悪を、怒りを、けれど彼女はまったく見せようとはしない。自身でソレを認めて語りながらも、それを実行する安易な方法をまったく良しとしないなんて。 絶望しているなんて嘘だ。人間を呪っているなんて嘘だ。この少女はまだ、自分の未来を毅然として信じているのだ。 相応しくない。彼女はこの場に、この家に、あの母親に、まったく相応しくないのだ! 「……そうだ、自分は決めた。自分は君を殺すことにする。自分は君の〝死神〟だ。そうして君は、自分の鎌にその首を捧げることで、もっと広い世界を見るんだ。どこまでも広がる空のように、君に相応しい大舞台に上がるんだよ」 「…………えっと。死後の世界の、お話なんでしょうか? それとも、何かの歌劇…?」 自分の言葉に、そうして少女はやっと年相応の怪訝な面持ちを見せてくれた。合点が行かず、不思議そうにしている少女に自分は微笑む。 自分は銃口を下ろして、彼女に告げた。 「君はベーエルデーの兵器になるんだ。人類の剣たる、メードになるんだよ」 … 翌朝、母親に少女を買い取りたいと申し出た。 もちろん大事な商売道具だ。そう簡単に譲るわけにはいかないと、彼女は体のいい母親面をして反論してきた。 が、自分がこれから向こう十年で少女が娼婦として稼ぐだろう金銭を計算した額を記した小切手を渡すと、即座に態度を変えて了承したときは、本当に引き金を引いてしまいそうだった。 けれどこれが少女の出した条件なのだ。どんなに救いのない母親でも、路頭に迷ってしまっては可哀想だと。正直そんな慈悲をくれてやる必要性すら見いだせないし、それはあの女の自業自得だと言ってやりたかったが、少女は頑なでとりつく島さえなかった。 おかげで議会の提示した予算を遙かに超えた出費となったが、自分はそれに見合う素材を見いだしたと確信している。 だが確かに、少女の頑なさは当然のことだった。こんな突然現れた死神の言葉を鵜呑みにするのなら、彼女はもっと早くそれを実行していたハズなのだから、その旨を良しとするわけがないのである。 ただ家族だった。それだけの理由で、あの女はこの少女に護られ続けていたのだ――――それがどれほど、救いのない袋小路だとしても。 契約が終わると、少女にはすぐに支度を整えさせて、出立した。一刻も早く少女をこの家から連れ出したというのもあるだろう。 少女は去り際に「さようなら、お母さん」と母親に告げた。 けれど母親は、最後まで小切手を眺めて笑みを浮かべるだけだったのだ。 ―――――そうして、少女はメードとなった。 … 半年後。自分は議会に呼び出され、ベーエルデー連邦の議事堂を歩いていた。 理由は了解している。自分はあれからというもの、一人もメードの素材を募ってきていないのだ。 自分が見いだした少女は、私の予想通りに優秀なメードとして新生したらしい。 そしてベーエルデー連邦で発掘されたコアの特性だったのか、彼女は赤い翼を持って大空を翔る〝空戦メード〟となった。希少な空戦能力を有した強力なメードとして彼女の名は瞬く間に知れ渡ることになり、たった半年足らずでレッド・バロンなどという二つ名で呼ばれるようになったという。状況判断に優れた有能な指揮官ぶりを発揮していることや、また他のメードたちよりも遙かに早く訓練期間を修了したこともまた、その名声に拍車を掛けているのだとか。 自分が半年間、まったく実績を上げていないのに〝死神〟の職を首になっていないのは、偏に彼女を見いだしてきた成果があるからこそだ。 けれど、それも限界だろう。自分以外にだって〝死神〟はいるし、あの少女から始まったベーエルデーメードたる乙女たちは、続々とその数を増やしているのだ。 今日の呼び出しは、間違いなく自分をお払い箱にする斬首通告であろう。 でもそれで良いのだ。自分はもう死神を続けることが出来ないのだから。 何故なら、自分は結局、あの少女に何も与えられなかったのだ。あの家から連れ出したところで、彼女を待っていたのはGとの飽くなき闘争の日々なのである。自分は彼女から彼女が護ろうとしていた母親を奪い、血塗れの戦場を与えただけだったのではないか。 そして、メードとなった少女は、幼い少女をこよなく愛するようになっているという噂を聞いたとき、私はゾッとした。 メードになったとき、その人間の思い出は失われる。けれどそれは深層のトラウマとなって心にこびり付いただけなのだ。少女は確かに有能ではあった。けれど少女のあの高潔な心は、あの人格がもし思い出と共に失われてしまっているのだとしたら。あの凌辱の日々が、少女に異性を忌避させ、同性の、自分と似たような歳の少女への偏愛へと変質してしまっているのだとしたら。 そう思うと、自分は少女に直接会って噂の真意を確かめることすら出来ず、もう死神を続けることも出来なかった。 自分がしたことは結局、あの少女を殺めただけ。 あの母親に、金銭という安易な幸福を与えただけ。 そんな慚愧に耐えて鎌を振り下ろし続けるなんて、自分には到底出来ないことだった。地獄にいたあの少女のように、高潔であり続ける事なんて自分には不可能なのだ。 「………これからどうするか。額に銃口でも当ててみるか…」 それもいいかもしれない。そんな投げやりな言葉を呟いたときだ。 はたと、目の前を歩いてきた少女と目があった。 長い金髪を一つに束ねた、齢十くらいの少女。けれど軍服らしい衣装に身を包み、その凛とした様は小さな彼女を見た目よりずっとずっと大きく感じさせている。赤い外套を優雅に翻し、淀みない洗練された歩みで廊下を進み行く様はまるで貴族か王族―――――いや、もっとずっと遙かに高潔な存在に思えて。 一目で分かった。彼女がレッド・バロンのシーア、自分がメードにしてしまった少女のなれの果てなのだと。 そのサファイアの目が私を真っ直ぐに見据えてくる。あの時と同じ、屈託のない笑顔を浮かべて。 それが今の自分には堪らなく苦痛だった。だってあの少女はもう死んでしまったのだ。似ているのは当たり前。問題なのはその精神の在り方、でもそれを確かめる勇気なんて自分にはまったく皆無だった。 情けなさに自分に虫酸が走る。でもどうしようもなく自分の心は萎縮してしまって、少女と目を合わて続けることもままならない。 自分は軽く会釈をして、足早に立ち去ろうとした。一刻も早く彼女の視界から消えてしまいたかった。 あの時もこうして、立ち去れば良かったのかもしれない。少女に干渉せずに―――――逃げてしまえばよかったのかもしれないのに。 「―――――元気がないな、死神。あの時の君は、もっと活き活きとしていたぞ?」 すれ違い様に、少女の声が凛と響いた。 その声色は、口調こそ違っていても、紛れもなくあの子のもので。 自分が慌てて振り返ると、その赤いメードもまたこちらを振り返って笑っていた。 「……ありがとう、死神。私に空を、未来をくれて」 その笑みは屈託が無くて、けれどあの時よりももっともっと大胆不敵で誇らしげだった。 そうして軽やかに踵を返し、なんの戸惑いもなく死神の前から立ち去っていく彼女が、あまりに見事すぎて。自分はしばらく、呆けたように廊下の真ん中で立ち尽くしていた。 「…………ああ」 そうして数十秒の逡巡の後に、自分は頷いた。 そうだ。それでこそ、その在り方こそ、君に相応しいんだと。 あんな狭い世界で終わる翼ではないのだと、自分はあの時以上の思いで確信し、踵を返した。 振り下ろした鎌の刃の先。例えそれが、戦場の日々なのだとしても。それでもあの少女が堂々と〝未来〟を口にしたのなら。 「そうだ、きっとそうなのだと、信じられるというものだ…!」 高らかに宣誓して、向かうは連邦議員が居並ぶ議会場。おそらく彼らは、私の首を切る断頭台を用意して待っていることだろう。 だが非常に虫のいい話で申し訳ないが、自分はそのギロチン台を破壊して、再び死神の鎌を手に取ろう。 死神の鎌は、殺めるだけのものではないのだと、いま教えられたのだ。 ならば自分は、出来うる限りの救いを求めて、鎌を振るおうと思うのだ。 あの少女の「ありがとう」に、応えるためにも、だ。 … 1941年×月。 自分が訪れたのは、とある大商会の会長夫婦の元だった。 二人は家族旅行の最中に列車事故に遭い、齢八つの娘がその犠牲となった。外傷は殆ど無いのだが、頭を強く打ったショックからか意識が戻らないのだという。医者の診断では、回復の見込みはほぼ皆無であるらしい。 面会に応じてくれた二人の顔色は暗い。特に夫人の方は頬が痩せこけ、まるで生気がなかった。もう死人と変わらないほど、憔悴しきっている。 「……お子さんは、とても優秀だったと聞きます。なんでも齢八つで、その倍以上の知性を備えていらっしゃったとかで。将来有望だったとか」 「ええ………だが、あの子は…」 もう、とまでは夫人の手前言えなかったらしい。その絶望が彼女の心身を打ち砕くのは目に見えている。会長の方もまたそんな夫人のこともあって、疲れ切っている様子だった。 だからこそ、自分はこの二人の前にこの鎌を持って現れたのだ。 出来うる限りの救いを振りかざすために。 「お二方に、提案があります。是非聞いていただきたい」 ――――――了。 |
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