カリオは一人、どこにでもあるような公園にいた。ピーター氏が居を構える郊外から最も近いだけあって人通りは少なく、喧噪とは程遠い閑散とした場所だったが、今の彼にはちょうど良かった。
 少し頭を冷やしたかったし、ひとりで考え事をしたかったから。
 けれど、無駄足だったらしい。数十分を経てもカリオは考えを纏められやしなかったのだ。
――――どうしたらルフェルを救える。
 そもそも。そんな前提そのものが既に閉ざされたことを、専門家に否定されてしまったことを、非力な子供が一人で考えたところでどうなるはずもなかったのだ――――。
 結果は分かり切っていた。答えなんて最初から出てしまっていた。ここに来たのは、絶望と諦観を確認しに来ただけなのかもしれない。
 だけどどうしても足は動かなかった。まるでこの状況を受け入れることを拒否しているかのように、諦めることを拒否するかのように、ベンチから腰をあげて立つことが出来ないまま、更に数十分を経て。
「よっこらせっと」
 いつの間にいたのだろう。カリオの座るベンチに、初老の男が座っていた。一目見て生粋の帝國人ではないことが分かる容姿をしていた男は、小柄なくせに妙にがたいのいい人物だった。
「―――――…で、こんなとこでどうしたんだ坊主」
 しばらくの沈黙の後、突然にも男は視線を逸らしたまま、カリオに話しかけてきた。
「何を真剣に悩んでるんだよ、オメェ。あんまり悩むと髪が薄くなるぞ、オレみたいに」
「…普通、こういうときは迷子とか疑うものじゃないんですか」
 確かに毛髪が寂しい男に対して、カリオはガラにもなく皮肉げにそう返してしまった。そして同時に、自分の余裕のなさに失望してしまった。見ず知らずの他人に辺り散らかすなんて、なんて最低なのだと。
 けれど男は気にする様子もなく、表情ひとつ変えずに続けてくるではないか。
「そんなん目ぇ見りゃ分かるさ。お前はそんなガキっぽいことをとっくに卒業しちまってる奴って程度にはな。どうだ、その程度の観察眼持ちのおいちゃんにゃ話す気にはならないか?」
「……」
 一時逡巡したが、その間黙り続けた―――カリオの返答を待ち続けてくれた大人に、カリオはぽつりと事情を話し始めてしまった。
 普通の大人の男性なら、おそらくそうはしなかっただろう。この初老の異人はどこか、鉄火の修羅場を潜り抜けてきただろう重い雰囲気があったために他ならなかったのだと、カリオは事後に悟った。
 男はカリオの話を静聴する。詰まらなさそうな、不機嫌そうな、けどどこか安心を覚える温かさで。
―――父親という人が自分の側にもいたのなら、こういう人を言うのもしれないとカリオは思いながら、話を続けた。
「……それで、多分、ボクのメイド…ルフェルは…もう、長くはないんだと思います」
「どうしてそう思う?」
 初めて男は訊ね返してきた。
「……立ち聴きしてしまったんです。ルフェルを看てくれた技師さんの看護メイドさんが、ルフェルはもうダメなんだって話してて」
「難儀だな」
「はい」
 そして再び沈黙が訪れると、今度は男が先に口を開いた。
「それでオメぇ、どうしたいんだ?」
「――――ボクは、出来るならもうルフェルに戦って欲しくはありません。帝位なんて興味ないし…それに、ルフェルにももう傷ついて欲しくはないんです。だけどルフェルは、ボクのために、ボクを思って戦ってくれている。そう思うと…―――それに、この間はボクは終始怯えてるだけで、ルフェルの足を引っ張ってしまいましたから…」
「凄いな、そのメイドは」
 男の予想外の言葉に「え?」とカリオが顔をあげるが、やはり彼は視線を合わせないまま淡々と続けた。
「ウチにもメイドがいるんだがァ……なんつーかな。メイドってーのは家政婦や小間使いみたいに家事万能だと思ってたんだが、嘘だな。料理は食えたもんじゃない。米を研ぎもしないわ生で出すわ、味噌汁はヨーグルトみたいだわ、白菜を砂糖漬けにするわ、魚は炭だわ、病院食が宮廷料理に見える不味さだ。掃除も大雑把というか、もう箒と雑巾を凶器に使ってるとしか言いようがない。家を維持するだけで金が湯水のように飛んでいく」
「は、はぁ…」
「そのうえウチは九人も子供がいるんだが、そいつと合わせてもうそりゃ毎日が戦場だ。戦闘機乗って、敵の銃弾や対空弾幕ん中飛んでた方がよっぽど楽だったよ。そのメイドの友人どもの助力がなかったら、オレぁきっと一週間で家の下敷きになってチョコレートまみれの梅干しにされてたところだろうぜ」
「……それは、大変ですね」としか言えないカリオに、男は「お前もな」と軽く返してくる。
「いやまぁ、今の話はウチの嫁さんの話なんだが」
「は? あの…メイドさんの話ですよね?」
「ああ、だからカミさんの話なんだ」
 呆気にとられるカリオをおざなりに、男は話を続けた。
「だからつまりよ。オレぁ嫁さんとその友人どもの助けを借りて、九人のガキの面倒を見てるわけだが、オメぇのメイドさんはずっと一人で、オメェをここまで立派に育てたんだろ。男のオレぁから見ても、十分凄い事なんじゃないか?」
「……」
 言われて、思い起こす。
 ルフェルはピーター氏に修繕してもらうまで、ずっと破損した状態のままだった。損傷箇所を包帯で隠してはいたものの、そんなはぐれも同然のメイドを雇ってくれる仕事先などそうあるものではなかったし、メイドという貴重な商品として謀る人だって幾らでもいただろう。そんな苦労をルフェルは語らないが、カリオは物心ついたときからずっと見てきていた。
 ようやく安住できたと思えば、よからぬ風評を立てられて追いやられたこともある。
 ああ、今にしてみればあれは―――すべて母が原因だったのかもしれない。皇帝を謀り皇族の怒りを買った女の息子と、損傷したままで何を起こすか信用ならないそのメイド。世間が冷たくあしらうには十分すぎる材料だった。
 それでもルフェルは、カリオという人間の子供を育て続けた。別に、命令されたわけでもない。ルフェルをいらないと突っぱねた初対面の女が、一緒に押し付けてきただけの赤ん坊だった。それだけの、関係だった。
 それなのに7年、ルフェルはカリオを見捨てずに見守り続けてきたのだ。
「オメぇのメイドは凄ぇよ。だけどな、どんなに凄ぇ奴だって時々は間違える。―――というか、まぁ、なんだ」
 そこで初めて、男はカリオを見やって。
「時に男ってのは、テメェの我が侭で強引に女を引っ張るくらいがちょうど良い。オレもそうやって、今のカミさんと生活を手に入れたわけだしな」
 と言っても、強引にオレを墜としてきたのは色んな意味で向こうの方が先だったんだが――――と男は付け加えてにやりと笑い、立ち上がった。
 見やると、男の視線の先に複数の人影がある。そのうちの何人かには翼があって、男に手を振っていた。
「遠慮するこたぁない。思ったこと、やりたいことを言えないようじゃ、そりゃ家族じゃないぜ坊主」
 参考になったか?と言って、男は人影へ歩き出す。
 その、背の低い、けど大きな背中に向かってカリオは頭を下げた。
「はい、ありがとうございました」
 ひらひら。彼は手を振って応え、カリオは一路ピーター氏の工房へと駆け出す。
―――――そういえば、いつの間にか足は勝手に立ち上がっていたな。
 カリオはそんなことを、今更のように思い出してしまった。
 あんなに混沌としていた不安は、一切残ってはいなかったのだ。




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