「諦めなって。オレらだって手荒な真似はしたくないからヨー」
「なんたって大事な商品になるんだからナ。ヒヒヒ」
「大丈夫だって。売られるまではちゃんと飯も食わせてもらえるからな。売られたらしらねーけど」
――――なんと分かりやすく、見飽きた光景が眼前に広がっていることか。悩ましい。
 大通りではないにしろ、それなりに人通りのある往来の場に彼らはいた。男三人で、薄汚れた黒い肌の少女を囲んで躙り寄る。
 目的は口にしているまま、少女を奴隷商人に売り渡すつもりなのだろう。この国では〝黒い肌の人種に限り〟奴隷にすることが認められているのだ。悩ましい。
 少女はそうとう逃げ回ったのだろうか。肺が口から飛び出しそうなほど息を切らせ、細い体をカタカタと振るわせていた。呼吸もままならなければ悲鳴もあげられず、絶望に満ちた目に涙を浮かべて男たちを見上げているだけが、彼女に残された道だった。
 そもそも逃走劇は男たちの勝利が確定していたのは明らかだ。少女が求めたのは、この状況を打破してくれる救いの手であったに違いない。けれど黒い肌の少女を奴隷にすることは〝最終的には合法〟であるし、身長2メートル越えの巨漢の男三人に立ち向かう者は現れやしなかったのだ。
 誰も好きこのんで、あんな世紀末伝説じみた男たちから、劣等であると法的に決められた薄汚い子供を助けるわけがないのが、今のこの国の新しいモラルである。何度も見てきた光景であるけれど、なんと悩ましいことか。
 ところで、そんな彼らを〝俯瞰〟している私は、その実なにも悩んでなどいない。やることは決まっているし、この苦悩はもっと大局的なものである。このような小事にいちいち悩んでいては、自身の正道を貫くことは叶わないというものだ。

 なので――――― 一人の男の手が彼女の肩を掴もうとしたところで、私は手を下した。

 正確には、足だったが。
「ヒディぶッ?!」
 下品な呻き声を漏らして、私に蹴られた男は街路を真っ直ぐに吹き飛んでいった。ざっと50メートルくらい。自分の二倍くらいある男がサッカーボールのように飛んでいく様は、なんとも滑稽極まりない。
「な、なんだテメェ?!」
「何しやがるッ!!」
 残り二人が殺気立って、私を睨み付けた。手にナイフや拳銃、それに……バイクのチェーンだろうか、を握りしめて威嚇してくる。けれど巨漢の人間が紙飛行機のように飛んでいった光景にすっかり気圧されたか、眼光は怯えた小動物、罵声は雀のさえずり、大木のような腰は今にも回れ右をしそうなほど引けていた。滑稽にもほどがあって、思わず失笑してしまった。
 何しろ彼らが怯えているのは、彼らが追いやっていた少女とそれほど変わりない、小さな矮躯の女の子なのだから。
「ほぅ。俗物は風体や言動のみならず、思考すら定石通りのザコなのだな。あまり笑わせないでくれ、人前で哄笑するほど私は道化ではないのでね」
「ななな、なにを…! て、テメェ…! そ、それは俺らの獲物だぞ!」
「獲物…? この少女のことか?」
 私が振り返ると、少女はビクリと肩をすぼめた。いや無理もない。なにしろ私はどうみても〝怪物〟である。同じ人間の女の子であると思われるはずはない特徴が、私にはありすぎるのだ。それにいま人間を容易く蹴り飛ばしてしまったし、恐怖の対象と見られても致し方ないことである。
 それでも無礼を承知して彼女を吟味して、私は頷いた。
「なるほど。確かに彼女は私の獲物には相応しいな――――身長121cm。実に私の好みだ」
「………は?」
 私の言動が理解できなかったのか、目を丸くする男たち。これだから俗物は困る。
「どうした。彼女がそんな魅力的な〝ロリ〟だから狙ったのではないのか?」
「…………い、いや、ちが、そうじゃネェよバーカ!! 何言ってるんだお前!!」
 ぶんぶんナイフをちらつかせて怒鳴ってくる。本当に俗な奴だと、私は呆れた。
「ならば私がこの娘を貰っても構わんだろう。実に私好みであるし」
「な、なに勝手に決めて――――!!!」
「タダでとは言わんよ。そうだな、私のパンツでも拝ませれば納得するかね?」
 そう言って、スッと片脚を持ち上げてみせる。
「は、あ?」
「……ああ、すまない。私はそもそも履いてないんだった」
 微笑んで見せて、もう少し足を持ち上げる。
「お、おお?」
 男のうち一人が腰をかがめる。ふむ、やっぱり素質があったのは君か、と私が納得したときだ。

「テメェら…ッ なにしてやがる、そんなん奴ぶちこ…ぐべッ?!」

 先ほど私が蹴り飛ばした男が立ち上がり、叫んで、また地面に伏せた。いやはやこの国の人間が頑強な人種だとは聞き及んでいたが、本当に丈夫だと再確認して――――私は、男をもう一度地面に叩き伏せた我が〝マスター〟を見やる。
 男の頭を足蹴にした彼女は呆れて果てた様子で、手をちょいちょいと振っていた。
 もうどうにでもしろ、という了承のサインである。
「では遠慮無く」
 持ち上げた足で、屈み気味だった男の顔面を蹴り抜いてやる。鼻と顎を砕かれながら、男は対岸の家の壁へ吹き飛んで、コンクリート壁をぶち破っていった。彼の経歴に誘拐罪に器物損壊罪と住居不法侵入罪が追加された瞬間である。
 残るは一人と、私は〝翼〟をはためかせた。
 後は、それこそ秒もかからない小事である。
 

  ◆

 さて。事情聴取も終わって警察から解放された私にあった誤算と言えば、少女にはちゃんと帰る家があったことだろうか。
「ふむ。さすがに家族があるのに、私が勝手に連れ帰るわけにはいかんな。残念だ」
「いい加減にしろ。貴様に付き合っているおかげで、私の仕事はまったく捗らないままなのだ。シーア、この責任を一体どうしてくれる?」
 我がマスター、ララスン・H・カーンの貫禄のある美声に酔いしれながら、私は微笑を浮かべる。
「別に構わんだろう、マスター。こうして愛らしい少女の未来は守られ、俗物は然るべき牢獄に収められた。世界の在り方としてこれほど望ましいことはない」
「それはお前の私見だろう。確かに今回は〝誘拐未遂〟が通用したから良かったがな。間違っても親が奴隷商人に正式な手続きで売り払った娘を助けたりするなよ。我々の国……帝國に奴隷制度はないがな、今の合衆国にとってはそれは正しい売買契約なのだからな」
「了解しているが、首を縦に振ることは難しいな、マスター。私は愛らしい少女が虐げられる様は見たくはない。すべからく愛されるべきだよ、小さな少女というものは。それに、肌で人を差別する愚かしさは許容しがたいものなのだよ。私にとっては特に」
「立場を弁えろと言っている。帝國の親善大使である我々が、これ以上この合衆国で問題を起こすわけにはいかん」
 そう言うマスターの肌も、あの少女のように黒い。以前ならば兎も角、今ではその見た目故に合衆国側から軽く見られているのだ。無論その程度の障害に苦慮するような謙虚な女性ではないが、彼女を敬愛するメイドである私には面白い状況ではけしてないのである。
 悩ましいとは、そういうことだ。帝國と侵略戦争期から同盟関係にあるこの隣国の〝今〟の在り方そのものに、私は苛立ちを覚えているのだ。
「マスターらしくない、俗物的な物言いだな。そもそもこの国の選民思想は狂気の沙汰だ。半年前に大統領が代替わりした頃からおかしくなっている。親善大使とは、両国の信頼関係を深めるのが役割だが――――これでは国交に亀裂が生じるのも時間の問題だ。マスターとて、今の合衆国大統領を好きになれまい?」
「リチャード・ホークか。確かに好きではないが、この国の民意で選ばれたのだ。我々が口を挟むことではない」
 冷淡な物言いをするマスターであったが、その本心が別に向いていることは丸わかりだった。伊達に4年、彼女と共に刻を過ごしているわけではない。
「本当に民意であるならな、マスター」
「………シーア。何を企んでいる?」
 私の呟きに、マスターの目の色が変わる。彼女は聡明な女性だ。私が彼女を理解しているように、彼女もまた私の考えていることをほんの僅かな材料で看破してくる。まったく、これでララスン・H・カーンの身長が145cm以下であったなら本当に良い女性であったのだが。悩ましい。
「前大統領はマイケル・ウィルソンと言ったか。彼が今どこにいるか、興味はないか、マスター」
 マスターは唇に手を当てて少し思案した後、私の目を見て断言した。
「それで、お前は私に何をして欲しいのだ。シーア」
 ああ、本当に彼女は良い女性だと私は幸福感に満ちながら、笑みを浮かべた。
「狼に掛けられた鎖を、破壊するのだよ」






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